四、衝動

 男は膝から崩れ落ち、瞠目した。

 瞠目して、言葉を失った。

 血の気が一斉に引いて背筋が凍りつき、まるで時が止まってしまったかのような錯覚に陥った。されど、腹の深い深い奥底から込み上げてくる熱の塊のような何かが辛うじて男の身体を突き動かした。

 四つん這いで床を這い、目下に広がる歪な赤絨毯を踏みしめて進んだ先には、静かに身を横たえる女性の姿が。その様相は、男が知る女性の定常ではない。

 普段は纏め上げているブロンドの麗髪が解けて絨毯に沈み、腰から下は千切られていてそこには無く、元は純白であったであろうドレスは真っ赤に染まっていた。

 男は知っている。住み慣れたこの城に、赤い絨毯など敷かれていないことを。身体を横たえる半身の女性は、己が君主であることを。

 震える手を伸ばし彼女の頬に触れる。

 仄かに温かかった。そしてもう片方の手を彼女の背中に回し、血の絨毯から持ち上げる。

 滴る赤が冷たい。

「…………近こう寄れ」

 微かに彼女の唇が動くのを、男は見逃さなかった。消え入りそうなほどに微かな声を聞き逃さなかった。言われるがままに彼女の身を寄せ手を握り、何か言いたげにしている彼女の次の言葉を待つ。

 僅かに開かれた瞳の奥には確かな光が。

「……定めとは、下らないものよな」

 彼女のその一言は、昨晩聞いたばかりの言葉。

 彼女は言っていた。この世には覆す事のできない大きな奔流がある。人々はそれを運命と呼ぶのだけれど、そんなものは下らないと思う。と。

 それに対し男は、何故そう思うのか問うた。だが答は至極曖昧だった。

 彼女は言った。

 私がこの世に生を受けたからだ。と。それでも定めを否定するには、まず抗わなければならない戦わなければならない閉ざさなくてはならない。親愛なる家臣よ、お前は数少なき理解者だ。だからもしもの事があった時、自分の使命をお前に託す。だからお前も、最期まで導くんだ。と。

「欠片を、忘れるな」

 手を握り返す彼女の力が抜けていくのが伝わってくる。瞳に宿った微かな光さえも明滅を繰り返し、瞬く度に声が失われていく。

 数瞬。数秒。数刻。

 どれだけの時間をこうして見詰め合ったか男にはもう分からなかった。時間の感覚が狂って永遠のようにも感じた。

 そして、

「後は頼んだぞ、アルヴィンス」

 そして彼女は、力強く最期の言葉を残してから息を引き取った。奇しくも、腕の中で安らかな表情を浮かべながら。