第三章
「クリッフェントの王族」という立場は、私を辛うじて特別なものとして扱わせてくれた。
しかし、今は──。
背中に走る悪寒に体が震えた。
静寂の神殿に再び足音が鳴ったのは、その直後のことだ。
顔をあげた先には、大鎌を携えた死神が立っていた。
「それがお前の選択か」
アッシュの声は、やはり低く、冷たい。
ただの確認のように言った言葉でさえも、私を責める糾弾に聞こえてしまうほど。
違う、と──私の望んだ選択ではない、と否定したくなってしまいたくなるほどに。
「立て」
そう言ったアッシュの手から、鎌は煙のように消えていった。
言葉に引きずられるように、私は立ちあがった。
生贄としての役目すら果たせなかった私に、行く当てはない。頼るものもない私が、アッシュの言葉に逆らう権利など持てるはずもない。
死者の書を抱えたまま、私はアッシュの元へ歩み寄った。アッシュは私の足元へ目をやったのち、振り返って神殿の出入り口に向かって行った。
扉代わりの一枚岩を、一体どうするのだろうか。
そう思っている間に、アッシュは右掌で扉に触れた。それだけで、巨大な岩石にひびが入り、芯と表面の区別もなく一斉に崩れ始めた。
永らく神殿の一室を封印していたであろう岩が、突然自重に耐えられなくなったかのような──不自然な崩壊だった。
だがそれよりも、私の意識を揺るがしたものがあった。
岩が崩れたことにより飛び込んできた外気。
吸い慣れたはずの外の空気が、私の知らない匂いになっていた。
否。
匂いが、ない。
土、草木、花、家畜、人間。
クリッフェントのどこにでもあったそれらの匂いが、感じとれなかった。
「全てのものに死があることを知っているか、ジャスティーナ・クリッフェント」
アッシュの足は止まらない。
震える手は死者の書を抱え、崩れそうな足が死神の背を追った。
死者の書など放り捨て、立ち止まってしまいたかった。
願望とは裏腹に、私はアッシュに促されるまま、神殿の外へ足を踏み出した。
踏んだ芝生はカサリと音をたて、そのままぼろぼろと崩れていった。
石の部屋から抜け出したというのに、私の目に入る色彩に変化はない。
灰色。
生気の感じられない無機質な灰色が、世界を埋め尽くしていた。