第一章
はたして、この本のタイトルをどれだけの人が見るのだろうか。『北欧神話物語』。簡潔で明瞭な題ではあるものの、日常生活で目にすることなどないと言っていいだろう。北欧といったら、デザインものの家具や小物がごくまれに雑誌で特集されているくらいで、ブームというにはささやかすぎる。ましてや、神話なんて。
この本を、私は返さなければならない。
けれど、貸してくれた人物こそが、私の心を重くする原因でもあるのだ。なぜか、と問われれば、詳しく説明するのも難しい。嫌いとも、苦手とも違う、気まずさのようなものを私が感じてしまっていることは確かだ。
ともかく、私には彼と接触をはかるきっかけができてしまった。立ちあげたままのパソコンに繋がっているスマートフォンを掴み、メールアプリを開く。
大学進学と同時に新調したこの端末には、おそらく彼への送信メールが残っているだろう。受信ボックスに入っている返事は、ない。高校卒業の日に『北欧神話物語』を借りたきり、彼からのコンタクトは一度もない。
いまはやりの既読スルー、なんてものじゃない。いちいちそんなものを気にしている友人に対して、内心鼻で笑うことすらできるレベルだ。二年も音沙汰なしとなったら、いっそ安否の心配すらできてしまう。嫌われたとか、縁を切られたとかいう理由ならば、それだけメールで伝えてくれれば借り物は宅急便でも済ませられるのに。それとも、仕事を始めるということは、忙しいことすらメールで伝えられないくらいに忙しいことなのだろうか。