序章 炎の剣と黒傭兵

 倒れた馬さえ外してしまえば、残った馬の負担を軽減することができるし、何個か木箱が吹き飛んだせいで多少なりとも馬車自体の重量も軽くなっている。それにこのまま低速で進んでいては、今度はシルバリオンを好んで捕食する別の精霊をおびき寄せてしまうことにもなりかねない。

 荷台の先頭に到達したウィリアムがシャフトに挟まった馬の首を躊躇なく切り裂いてそのまま後方に投げ捨てる。

 鮮血噴き出る牡馬の生首が、道端を埋め尽くす桜の花びらを蹴散らすように歪に転がる。

 血の匂いを嗅ぎつけた狼たちがそれに群がる様子を確認したウィリアムは、空いた右手を虚空にかざしながら、

「《形は剣、その意は赤。ただ純粋に、お前を抱きしめよう──》」

 呟いた瞬間、左手に携えた長剣が爆ぜるように燃え上った。

 剣が纏った炎は一瞬で巨大化。刀身一メートル弱だったロングソードは本来の形状を大きく上回り、全長十メートルは下らない大炎剣を作り出していた。

 天高く掲げられる炎刃。燃え上がる炎は熱風を巻き起こし、直後、狼の群れに向かって叩き付けられた。

 ゴバッッ!!!! と轟音が木霊すると同時、炎で形成された長大の刀身が炸裂。燃え盛る炎が爆ぜて飛び散り、シルバリオンたちの銀毛を、肉を、骨を──全てを焼き尽くし、掻き消えたころには何も残っていなかった。

 東の空が明るい。

 太陽は地平線をのぼっているのだが、背の高い山々に隠れ、未だその姿を見ることはできない。証拠に、陽光を背にした山の麓や石造りの城壁の隅には少し夜が残っていた。

 城壁の近くには馬車が。

 荷台の大きさの割に荷物が少なく、それをけん引してきた栗毛の馬は時折寂しそうに鳴いていた。

「悪かった。守れなかった……」

 ウィリアムがそう言ってたてがみを撫でてやるが、掌の感触が気に入らなかったのか馬は首を振ってそっぽを向いてしまった。

 ウィリアムは自分の掌を見て思った。あの時、一瞬とはいえ眠ってさえいなければ、あの牡馬が死ぬことはなかったのではなかろうか、と。

 依頼人である御者は確かに目的地まで送り届けた。積荷は少し失ってしまったが豊穣祈願の祭りには支障が出ない程度であるらしい。

 だがここに辿り着くまで尽力してくれた馬は守ることができなかった。

 人間さえ守ることができればそれでいいのか?

 ウィリアムは傭兵だ。シルバリオンの群れを屠ったように、命を殺める時もある。その対象がたとえ人間であったとしても例外ではない。

 傭兵にとって殺しは仕事になる時もある。しかし、むやみやたらな殺生は良くないという事ぐらいは理解している。

 殺す時は殺すし、守る時は守る。そこには単純な選択肢の中、幾ばくかの要素が絡んだ時に不思議な感情が芽生え出すものだ。人はそれを情と呼ぶのだけれどウィリアムはその情の根底に存在する答えを知らない。というよりも、深く考えないようにしていた。