第二章 深奥に滲む

 言葉は続く。

「空中渡航技術を確立させたあの人は世界を回った。私も一緒にね。行く先々の景色は、それは綺麗で、汚くて、おぞましくて、取り留めの無いものばかりだったけれど、世界には色んな形があるって分かった。それにね、不実だとは分かっていたけれど私は楽しかった。あんたと同じようにあの人の隣に居られて」

 イドは常にミッドエルムの傍にいたわけではない。 
 しかし、ニールが放った言葉はそういう意味ではなかった。

「……あの人の隣にはいつもあんたが居た。私は、私の大事な友でもあるあんたが羨ましかった。どうか浅はかだと罵ってくれ。私は──あんたのいないあの人の隣にいる時間が、このまま続いてくれてもいいと心の隅で思ってしまった畜生なんだ。あの人に、お前が頼りだと言われて舞い上がっていた犬なんだ」

 彼女の懺悔に耳を傾けながらイドは思う。
 友からの信頼というのは、何物にも代え難い安堵感がある。
 もしもニールと逆の立場だったとしたら、きっと自分も同じような事を思うのだろうと。
 首を横に振ってニールの無意を肯定してやると彼女は自嘲気味に笑った。笑って、ため息交じりに中断していた言葉を再開した。

「そうやって世界を渡り歩いているうちに、辿り着いちまったのさ」
「辿り着く?」

 問うと、ニールは目を伏せて告げる。

「定命(さだめ)の盃に」

 聞いた瞬間、イドの心臓が跳ねた。脳裏に閃光が走るような感覚が瞬くと共に過去の記憶が蘇える。
 定命の盃。
 それは秘宝の名称であり、その内訳は、使用した者に有限な命の終わりを決めさせる呪いの一種である。
 イドはこの秘宝の概要を書物で見たことがあった。
 古い文献であったから実在するかは別として、書かれていた効能はイドの目を引くには十分だった。
 内容はこうだ。
 使用者に死の時を選ばせる。病に伏していようとも、死が寸前に迫っていようとも、その効力は他の何よりも優先される個人の意思である。それがたとえ不老不死の者であったとしても例外ではない。ただし、呪いの一つたるこれは命の終わりの上限を十年先までしか定めることができない。
 この呪いの存在を知った時、イドは真っ先にミッドエルムへ伝えた。
 その時ミッドエルムは言った。探しにいくぞ、と。いとも軽々しく。
 奇しくも、その名称以外は分からないというのに。
 それでも友人は辿り着いた。
 世界を回り、巡り巡って。

「そうか……彼奴は、到達したのだな」

 石碑に残った白を拭き払うと新たな文字が。それをなぞって声に出しながら、イドは笑った。