第二章 深奥に滲む

「うむ。まあそれでも只で転ばんのが彼奴の──ミッドエルムの悪い癖で、地下通路の横に更にこっそりこの抜け道を作ったのだ」
「わあ」
「それもひとえに、こっそり城から抜け出すためよ」

 秘密の道とはそれだけで浪漫足り得る。また王族ともなれば城から抜け出すのも伝統であり一興。友人はそんなことも言っていたとイドは続ける。

「彼奴はこっそり悪さをするのは天才的に得意だった」
「話を聞く限りお前の友達はなかなか見所のある奴だよイド」
「きっと貴様と気が合うじゃろうな」
「かもな」

 隠し通路へ足を踏み入れると懐かしい香りと共にひんやりとした空気が漂ってくる。
 それらの正体は通路の先。隠し通路の奥にある。

「もう少し歩けるか」

 道の先を見据えて後ろに声を放ると、ため息混じりにがちゃりと金属のぶつかる音が聴こえた。

「酷使してくれるじゃないの、お隣さん」

 振り返るとミラベルを背負い直して軽薄に笑うローヤの顔が。
 隣人はそのままイドを追い越して隠し通路の先に足を向ける。

「ほら。早く入り口閉じないと隠し通路がバレちゃうでしょ」
「ああ。すまぬ」

 それから二人は歩いた。
 先程までの通路と感触の違う足元。僅かに湿気を含んだ土が靴裏に張り付き、足運びを鈍らせる。くわえて登り気味に少々傾いた道が人一人を背負うローヤの体力を容赦なく奪った。
 見兼ねたイドがローヤの腰を後ろから押し支えて進む。
 足を進めるに伴って次第に明るくなるこの隠し通路は、地下通路との接続部以外はイドと友人の手がまったく加えられていない自然の洞窟である。
 整備しなかった理由としては足場の土の水気を取るのが難しかったのと、自然の状態をできるだけ保ちたかったからだ。
 足場の悪い道を歩き続けること、どれだけ時間が掛かったか分からない。実際には数分だったかもしれないし数十分だったかもしれないが、イドの体感的には何時間も歩いたように思えた。
 そして坂道をようやく登りきって開けた空間に達した直後、糸が切れたようにその場に倒れ込むローヤ。続くように膝をついたイドは、息を整えながら左方向に目を向けた。
 洞窟の裂け目から差し込む光が眩しい。
 その裂け目から目と鼻の先にある対岸の崖には勢いよく流れ落ちる滝。捲き上る飛沫が陽光を抱いて明滅する。
 そこから少し視線を落として洞窟内に視野を戻せば地面に広がる白が目に映る。
 老草(おいなぐさ)。
 老樹に似た青みがかった白の花を咲かせたその植物は、老樹の国(アトウッド)でそう呼ばれている。
 裂け目から流れ込んでくる清涼な瀑布の風に乗って薫ずるほんのり甘い香りは老草の花のそれ。王となる前の友人と共に城を抜け出すたびに見て香った大空洞の在りようは、昔とあまり変わっていなかった。
 しかし、一つだけ。
 イドの記憶と一致しない点があった。
 大空洞の右側。滝を臨む裂け目とは反対の位置。花を付けていない老草が群がる場所に大きな白群色の隆起がぽつりと佇んでいる。

 ──肥大した老草の花、か?

 と、首を捻らせているとその隆起が動いた。
 白群色の塊が持ち上がり、四本の脚が、毛に覆われた長い尻尾が、耳が露わになる。
 ぶるりと身を震わせて身体に堆積した草を宙に舞わせたそれは、静かに目を開いた。
 体高はイドどころかローヤを遥かに凌ぐ。
 狼。
 白群色の大狼だった。
 目が合う。
 物憂げそうな鈍い光を称えた瞳に見下ろされ、イドは思わず瞬きを忘れた。それは別に、狼に対して恐怖を感じたからではない。寧ろ逆だ。