第二章 深奥に滲む


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 仄温かい風が、頬をなでる。
 灰燼混じりの空気のうねりが黒衣の裾を弄び、虚空に流れて通り過ぎていく。
 そんな灰色の風を感じながら、女は大つばの帽子を押さえて目と鼻の先に広がる光景を見とめた。
 薄い青みがかった葉が覆い尽くす山々。その山間に広がる森の中に悠然と聳え立つ城は、しかし煤煙を吐き出していた。

 ──存外脆いものね。

 城壁の一角にあいた大穴を見て女は胸中で独りごちる。すると、足元の大蜥蜴の頭部が主人の内心のほどを肯定するように低く唸った。歪に伸びた硬質の角を撫でてやると大蜥蜴が喉を鳴らす。

「いい子」

 しかし一転。
 不意に声帯の震えを止めた大蜥蜴は一方向を見つめていた。
 そのようすに気付いた女が従僕の視線を追うと城に動きがあった。
 崩壊部と反対側に位置する棟から大砲が列を成して運び出されてくる。同時、大弓を抱えた銀の鎧たちがそれを追って飛び出して来るのが見えた。
 大砲十二門。
 弓兵三十七人。
 それぞれの位置についた遠距離戦力が指揮官の号令にしたがって、砲門を、矢じりをこちらへ向ける。そして発射の合図がおりた直後──爆音が空気を叩いた。爆炎に押し出された砲弾が風を切って迫る。その後ろから少し遅れて大矢の弾幕が。

 ──猪口才な。

 正面を覆いつくす弾幕を見て、しかし女は笑う。笑って、虫を忌避するように手を振り払った。
 それに追従して大蜥蜴が尻尾を薙ぎ払う。空気を裂く勢いで振り抜かれた尻尾の軌道上に生まれる爆風──その暴力的な空気の塊が、直前まで迫った脅威をまとめて弾き飛ばした。
 咆哮。
 大蜥蜴の雄叫びが大気を震撼させる。
 大蜥蜴はそのまま開いた口腔の奥に魔力(マナ)を滾らせ、女が虚空に手をかざすのに従って──炎弾を怒鳴り散らした。連続して三弾放った炎は城壁へ向かって飛び、着弾。轟音を伴って炸裂した炎が煤煙を誘発する。
 もうもうと立ち昇るそれを見て、女は鼻で笑った。だが、薄れていく煙の先にある光景を見てすぐに目を細めた。
 大砲に次の砲弾を込める兵士の姿が見える。
 巨大な矢を大弓につがえる銀の鎧が見える。
 それら隊列の前に、六角形を並べた半透明の壁のようなものが見える。
 徐々に薄れて視認できなくなるそれを見て、女は苦虫を噛み潰したような顔をした。

 ──さっきは通ったはずよね。

 先に放った火炎が城の一部を吹き飛ばしているのは間違いない。

 ──もしかして。

 女は確かめるように胸中で呟く。

 ──あの場所だけ穴がある?

 装填を終えた大砲と大弓が放つ弾幕が再び迫る。
 女の指示を受けた大蜥蜴が翼で空を弾いてそれらを躱し、羽ばたきざまに城へ向け咆哮──するも、放った火炎はやはり半透明の壁に阻まれる。大蜥蜴は三度襲来する横殴りの雨も軽やかに躱し、逃げた先を狙った追撃も巨体を翻して潜り抜ける。そしてそのまま大穴目掛けて突っ込んだ。
 かつて大広間だった部屋に降り立って、女は気付いた。
 魔力(マナ)を感じない。
 普遍的であるはずの雑多な要素が、そこには無かった。
 くわえて、大蜥蜴の厚鱗が塵を伴って蒸発を始めている。
 女の従僕は魔力(マナ)を元に実体を作り出している。それが消滅を始めているともなれば原因を断定するのは簡単だ。併せて炎弾を防がれたことにも納得がいく。
 つまりは、

「……なるほど。魔消(カット)の陣でも敷いているのね」