第一章 暗中に泥む
──何が狙いじゃ。
押さずとも罰則はなく、そして何もしなくとも何もない。
ただ歩くだけ。
これではまるで、お前には何をする価値も無いただそこに居るだけの生き物だ、と言われているような気さえしてくる。
というよりそれ以前に、イドへ労働を促すことすらしないのならば看守の存在意義の方がそもそも不明だ。
それこそ看守の方がそこに居るだけの存在であるかのように思えてくる。
「囚人に好きなようにされて良いのか?」
金網の上へ向けてイドは声を放る。純粋な疑問に挑発を内包して。
しかし答えは返ってこない。代わりと言ってはなんだが部屋の中心にある支柱が、ぎこんと音を立てた直後──棒の壁の動きが分離した。
三本ある棒の内、一番下のそれだけが急激に加速し、上段と中段がそれに遅れて旋回する。
「──!」
唐突な変速にイドは面を喰らったが迫る下段を跳んで躱し、追従する上中段を掻い潜ってまたも再来する下段を避ける。
──っ、奇怪な!
胸中で悪態をつくも余裕は無い。分離した棒の動きにこれ以上の変動がないとは限らないし、それとは全く別の何かが起きる可能性も否定できない。
そうこうしているうちに下段が一周を終える。遅れて上中段が。
それからどれだけの時間が過ぎたか分からない。支柱の動きが止まったのは、躱し続けたイドが疲労の限界を迎えた直後だった。
戻る時はやはりあの黒い半液体で拘束され、牢へ投げ込まれた。
足元は荒い石造り。
石の上を転がるのは疲労困憊の身体に響く。
痛みに耐えて呻き声を上げていると隣室からどさりと音がした。続いて怒声。
「痛えだろうが腐れ覆面が!!」
隣から大声が聞こえるのは珍しい。それは兎も角として、隣人も労働から戻ってきたらしかった。
イドは悲鳴を上げる上腕で身体を持ち上げ、壁際に転がって隣へ声を送る。
「お勤めご苦労」
それに対する応えはすぐにあった。
「へろへろじゃねえか」
鋭い。声色から読み取られたか。
逆にローヤの声からは疲れなど微塵も感じられない。それを言ったら「アンタよりは多少なりとも経験値あるからな」と得意気に返された。
「それで、今度はどうだったよ?」
続くローヤの言葉に促され、イドは壁に背を預けながら今回の労働について言う。
「うむ。意味不明じゃった」
押さずに手を壁についたまま周回することを試してみた事。そこから手を離して歩いてみると棒壁の動きが分離した事。そして、看守が何も動きを見せない事を話すとローヤは一言、「なるほどな」と静かに呟いてから、
「イド。一つはっきりした事がある」
真面目な声色で告げる。
「俺とアンタが就いてる労働は同じだ」
それを聞いた時、イドは意味がすぐに理解できなかった。