第一章 暗中に泥む

「ああそうだ。アイツら皿は取りに来ねえぞ」
「む? 何故だ?」
「消えるから」
「……は?」

 ローヤの言葉を疑うも皿は溶けるように本当に消え失せ、瞠目していると注釈が隣室から飛んで来た。

「重さを感知して反応する技術らしいぜ。あと、」

 その先は予測出来る。
 イドはローヤの言葉に続くように静かに呟く。

「自殺防止じゃな」

 だとすれば今身につけている服に皿とは違うかも知れないが自殺を防ぐそれ相応の細工が付加されているのは想像に難くない。
 仕組みが気になって衣類を弛緩させたり擦り合わせてみたりしたがしかし何か判明する事もなく途中でやめてしばらく横になっていると隣から「そろそろ時間だぜ」との通達。
 少しすると看守が現れた。
 看守はイドが入る牢の前に立つなり、何も言葉を発する事なく腰に下げた麻袋に手を突っ込んで中を探り始めた。
 恐らくは鍵を取り出そうとしているのだと思われる。

 ──これは……好機じゃ。

 イドは壁から背を離し、床に張り付いていた尻をゆっくりと浮かせて片膝を付く。
 ローヤの話通りであればこのあと労働があるとのことだった。となれば、牢を一度開ける必要が出てくる。
 鉄格子が解錠された瞬間に看守を無力化する事が出来ればこの陰気で黴臭い空間から抜け出す事も可能かもしれない。
 爪で床を引っ掻いて、しかしイドは僅かに表情を曇らせる。

 ──儂の腕力では心許ないがの。

 それでも選択肢は多くはない。むしろ選択の余地はない。
 少年の繊細な指で不安と拳を握り込み、イドは看守の動きに視神経の全てを集中させた。だが麻袋から取り出されたのは鍵ではなかった。そこから引き摺り出されたのは円柱状の筒のような物だった。そして看守は筒の蓋を外して牢の中へ投げ込み、床を転がった──その直後だった。
 どろり、と。
 筒から粘性の黒い半液体が這い出る。
 そしてそれはまるで意思を持っているかのようにイド目掛けて飛び掛った。
 驚愕に退くも粘性のそれはイドの顔に張り付き、まず目を覆ってから耳鼻を塞ぎ首筋を伝って左右の腕を後ろ手に組ませ両手首を固定し、瞬く間にイドを拘束した。
 声を上げて抵抗しようとしたが、目と耳を奪われ身体の制御が効かずイドは床に伏す。

 ──何が、何が起こった……!? この黒いのは一体……!

 がきん、と解錠音。
 看守が牢の中へ入ってきたらしい。イドはまだ完全に塞がり切っていない片方の耳で辛うじて音を拾い、出鱈目に脚を振り回して蹴りを放ったが一撃の元に受け止められて足枷を付けられ、そのまま引き摺られるように牢を後にした。