第二章
「こんばんは、イトダくん」
澄んだ声が、影から浮上した都市伝説の耳に染み入った。
オレンジを中心とした、明るい色遣いの部屋だ。窓を覆い隠すカーテンも、その影が落ちるカーペットも、心を陽気にさせるビタミンカラー。
その中に、一滴の墨が落ちた。
より正確に言えば、カーテンが落とした影から、滲み出た。
ナイトダイバーが目を開く。生気を感じさせない白い瞼の下から現れる、漆黒の瞳。目元の他は、鼻も口も首も、黒い包帯によって隠されている。顔にかかった長い前髪をかき上げた手すら、隙間なく包帯で埋め尽くされていた。その上にまとっているのは、サイズの合っていない大きな長袖Tシャツと、スキニーパンツ。身に着けているものはことごとく黒く、生身であるはずの目元が唯一、彼の中で異彩を放つ白だった。
誰にも実体を掴ませないような姿ではあるが、ナイトダイバーは人間と変わらない形をしている。目元や体型から、二十歳前後の青年と言えるだろう。ハロウィンの時期なら、人混みに紛れるのも可能かもしれない。
彼──ナイトダイバーはつい数瞬前まで、ターミナル駅のすぐ前にて、マスコミのヘリと一分に満たない鬼ごっこを行っていた。影から影へ移動することが可能な、彼ならではの逃亡方法を使って逃げ込んだ先がここ。澄んだ声でナイトダイバーを親しげに呼ぶ、一人の少女の自室だ。
「だから、その呼び方はやめてくれないか」
「いいじゃん。これが一番、普通の名前に聞こえるんだから」
唇を尖らせながら、机の前の安っぽいデスクチェアに座った少女が言う。仕草の割に口調は楽しげで、悪気も全くないようだ。