三 男・託す
反応するだけの時間を与えるつもりもない。シルヴィは速度だけを突き詰めた拳を〈悪〉の顔面に叩き込んだ。硬い音をたてて粉砕される〈悪〉の頭部を確認した後は、視線を次の標的へ。
突き出される槍の穂先を避けつつ、〈悪〉の胴体へ踵の一撃。ロランも戦闘を再開したらしく、少し離れた場所からも破砕音が聞こえてくる。
そこからは、戦いに没入するのみだ。
過集中で狭くなった視野を補うように、聴覚が鋭くなっていく。一個体に集中する目と、周囲を捉える耳。思考が介在する隙はなく、ただただ目の前の敵に集中する。いっそ、身の内に封じた破壊衝動と同一化するような感覚すらあって──
だから、見逃してしまったのかもしれない。
ぶわりと吹いた、否、動いた風に、シルヴィの意識が引きずられる。
シルヴィとロランを標的としていたはずの〈悪〉何体かが、突如二人を無視して草原を走っていた。
夕日で真っ赤に染まった、西の方角。
シルヴィにとっては故郷の、ロランにとっては世話になっている集落がある方へ。
「────ッ!」
ロランの顔色が変わるのを、シルヴィは遠くから見とめた。
そして、思い至る。
彼の〈悪使い〉としての誓いは、ひどく実現困難なものだったことに。
「駄目だ、ロラン!」
シルヴィが叫ぶのと、ロランが集落へ向けて走り出すのは、ほとんど同時だった。
蹴りつけた地面がえぐれそうな、本気の加速。巻き起こされた風にシルヴィがひるんでいる内に、ロランの姿は薄闇の中にとけてしまっていた。
遠く、〈悪〉との交戦音がかすかに聞こえてくる。
「……くそっ!」
悪態をついて、シルヴィは襲いくる〈悪〉へ拳を叩き込んだ。
分散し、かなり数の減った〈悪〉を手早く片付ける。最後に沈めた〈悪〉の絶命を確認する手間も惜しんで、シルヴィはロランの後を追った。
真っ赤に染まる空の中に、集落は真っ黒な影になって浮かびあがっている。
赤と黒。〈悪〉が、破壊衝動が持つその色は、ひどく不吉に世界を彩っている。
なりを潜めていた「嫌な予感」が──毛が逆立つような違和感が、首の後ろでまた存在を主張し始めた。シルヴィは追い立てられるように駆ける。硬質な戦闘音は、先程までよりも明瞭に聞こえてくる。
まだ、戦っている。その事実が、シルヴィの足に力を入れた。
そして、ようやく集落の端にたどり着く。砕けた〈悪〉の死骸を無視して、無人の畑を突っ切り、建物の並ぶ居住区へ。