三 男・託す

 思わず足を止めてしまいそうになって、シルヴィは頭を振った。乱れた歩調をごまかすように早足になってから、前を歩いていたロランが立ち止まっているのに気付く。

 今度こそ、シルヴィの歩みは止まった。

 ロランに理由を問う必要はない。

 揺れる木立の音の隙間に、足音が二つ聞こえたからだ。

「嫌な予感、っていうのは……これを言っていたのかな」

 ささやくように言ったロランは、またたきの間にその姿を変えていた。

 シルヴィも続き、黒い髪と赤い目、蝙蝠の翼の──〈悪使い〉の力を解放する。

 前方、森の奥から近づいてくる足音に応じ、シルヴィはロランの隣に並ぶ。

 木々の隙間に見えたのは、いびつな人影だ。

 蝙蝠の翼を背負い、槍を携えたヒトガタ。

 わずかな光を反射する皮膚は、硬質な、ぬらぬらとした輝きを放っている。

 ヒトの形をした破壊衝動。〈悪〉、だった。

「昼間から動いているとは、めずらしい」

 ロランがぼそりと言うと、それに反応した〈悪〉が突進を仕掛けた。

 鋭く、速い刺突。破壊と戦闘に特化した〈悪〉の行動は、しかし破壊衝動のみで選択されている。恐怖さえ感じなければ、避けるのはたやすい。

 左右に分かれて刺突を回避したシルヴィとロランは、視線すら交わさず手近な方の〈悪〉を自らの標的とする。

 シルヴィは無防備な背中を踏みつけるように蹴りつけ、ロランは首筋へ踵を叩き込む。脊髄にあたる部位を破壊すれば、あとは頭か胸にとどめを刺すだけだ。

 わずかな時間差で頭部を踏みつぶされた二体の〈悪〉は、硬い音をたててひび割れ、砕け散る。

〈悪〉だった欠片がぱらぱらと崩れていくのを確認して、シルヴィとロランは周囲を警戒する。

「調子は戻ったかい、シルヴィ?」

「……いや」

「そうか」

 わずかな沈黙を挟んで、ロランは続ける。

「奥に行ってみよう」

 シルヴィがうなずいたのを確認して、ロランは森の奥へと足を進める。シルヴィはその左後ろについて後を追った。

 日の光を嫌う〈悪〉の習性を考慮すれば、活発化していたとしても森の外に出たりはしない。枝葉で光が遮られる森の奥で、獲物を待ち構えているはずだった。

 慎重に、しかし遅くなりすぎない速度で、二人は獣道を進む。

 木々の密集度は少しずつ上昇し、昼でも薄暗い領域に入ったところで、シルヴィとロランはどちらともなく立ち止まった。