第一章 無法都市の法
周囲の建物にも増して、汚れらしい汚れがどこにもない。それでも古さを感じるのは、事実この屋敷がアグローでもっとも古い時期に建てられたものだからだ。
アメリカの荒野、どの大都市からも離れた場所に住み着いたのは、当初十数人のエルフたちだったという。
尖った耳の青年に従って、仮面の男女は屋敷の中へ入る。
隅々まで管理の行き届いた屋内を進んでも、誰ともすれ違わない。かろうじて、廊下の角や部屋の中に消えていく人影がちらりと見えるだけだ。
人の気配があるのに、視界には入らない。
少し古いだけの清潔な屋敷であるはずなのに、言いようのない気味悪さがあった。
屋敷に入るのは今回が初めてのハルが、居心地悪そうに襟元を直したころ。青年は歩みを止めた。
木製の扉を、二回ノック。
高い音が、静かな廊下に響く。
「オクルスさまをお連れいたしました」
「……あぁ」
重々しい返事から数拍おいて、青年は扉を開く。
促されてオクルスとハルが部屋に入ると、青年はそのまま部屋の左、主のいる方へ一礼して廊下へと戻っていった。
「長旅の疲れは癒せたか?」
気遣うような言葉でありながら、その声はどこか重い。
扉から見て左側に伸びた部屋の奥、本棚を背にして屋敷の主人が机に向かっていた。
椅子に座ってはいるものの、その体は筋肉質で大柄だ。
ただそこにいるだけで、威圧感のある男だった。顔に深く刻まれた皺も、体に合わせて作られたダブルスーツも、男が放つ存在感や圧力を弱めはしない。
エルフ族特有の尖った耳を持っているのに、そこから想起される繊細さとは無縁そうな男だ。
「えぇ、おかげさまで」
扉の近くに立ったまま、オクルスは男の問いに答える。
室内に椅子は一脚のみ。部屋の主が座る一人掛けだけで、その事実が主人と来客の力関係を明確に表していた。
「それで、そちらのお嬢さんが、日本から連れてきた──?」
「ハル、といいます。ミスター」
感情をにじませずに返したハルに対し、老齢の男はわずかに眉を寄せた。
太い指が、髭のない顎を撫でる。
「日本の名か?」
「こちらでも呼びやすいように、音を減らしたのですが」
「ほう、なるほど」
「なにか問題でもありました?」
ハルの問いで、男は初めて笑みを浮かべた。
にやりと、満足げに。
「いやはや。私としたことが、つまらん些事を気にした。実に似合いの名だ、お嬢さん……いや、ミス・ハル?」
訂正にハルが会釈で返すと、男はさらに笑みを深くした。
「行き先が日本と聞いて心配していたが、どうやら杞憂だったようだな、オクルス」
「あなたの導きがあってこそです」