第一章 無法都市の法
「ミス・ハルの魔面は使役用ではないな。隠したいものでもあるのか?」
「──いえ、使役用ですよ、首領。彼女は半使い魔。私と知識の一部を共有しているのです。英語が話せるのはそのためですよ」
「ふむ……まぁ、そういうことにしておこうか」
男が背をもたれて、革張りの椅子がわずかに軋んだ。
オクルスはシルクハットの位置を直して、咳ばらいを一つ。
「ところで、私への要件を伺っても?」
「あぁ、そうだったな」
指を組んで腹の前に置き、男は続ける。
「情報屋の仕事だ。アグローに入り込んだ魔薬学者を探してほしい」
それだけを言って、言葉を切った。
オクルスが返答するまでの間に、わずかな沈黙が挟まる。
「それは……あなたが把握しない魔学者の出入りがあった、ということですか?」
「残念だが、その通りだ。どころか、認めた覚えのない薬まで出回っている」
細められた男の目には、わずかな苛立ちの色がにじむ。
「麻薬のような『魔薬』、らしい。あくまで噂ではあるが、心当たりがあってな」
「その魔薬学者に……ですか」
「やつが求めているものにも、だ」
言って、男は細く長いため息をついた。
その間に、オクルスはハルの方をちらりと見る。仮面で隠された目元はおろか、顔の下半分にもこれといった表情の変化がない。退屈や疎外感を表に出すような人物でもなかった。
「では、まずは魔薬から探してみましょう。魔薬学者が狙っているものについては、」
「すでに手を回した。ネズミ探しに専念してくれ──それともう一つ」
念を押すように、男の声はわずかに低くなった。
オクルスを射抜くような瞳は、青と緑が混ざり損ねた色をしている。
「分かっているとは思うが、身内を売るような真似はしてくれるなよ」
「えぇ──承知しておりますとも」
それだけ応え、オクルスはシルクハットを取って礼をする。
見た者を刺し殺すような視線の圧は、幻のように消えている。対峙する相手を威圧する存在感を持っていながら、その使いどころをわきまえている男だった。
無法都市アグローを束ねる首領。
逆らうどころか近づくことすら避けられる、恐怖を伴うカリスマ性がそこにはある。
臓腑が冷えるような錯覚を抱きながら、オクルスは部屋を辞する。扉を開き、ハルを外へ促したところで、男が再び口を開いた。
「あぁ、そういえば、言っていなかったな」
男の放つ圧力は変わらぬまま、表情だけがわずかに柔らかくなる。
ありもしない裏の感情を読みとってしまいそうな、歓迎の表情だった。
「アグローにようこそ、ミス・ハル」
「ありがとう、ミスター・アグロー」