第四章 国境の町

 髪の下にリボンを横切らせて、毛束を左手に集めるように櫛ですかれた後、ようやくクローディアが言葉を継ぐ。

「私もね、なんとなく信じてるの」

「クローディアが? 普段色々考えてるのに?」

「今だって考えてるよ。考えてるけど、つい信用しちゃうの」

「……あいつの顔で判断してねぇよな?」

 がり、とグレンの頭蓋に響く音があった。

「あだぁ!?」

「ねえ、まじめな話してるの。いい?」

「いや今櫛で頭ひっかいただろ!? 結構強めだったし!」

「グレンがふざけたこと言うからでしょ!」

 怒りながらも、グレンが動いて散らばった後ろ髪を丁寧に集めなおすのがクローディアの世話焼きな部分だった。

「違うの、そういうのじゃなくて……。もう! どうやって言おうとしてたか忘れちゃった」

「もしかして図星だったんじゃ……ごめんなさい」

 クローディアの怒りを敏感に感じとって先に謝れるのは、グレンの体質の数少ない利点かもしれない。

 ともかくクローディアが櫛を持っている間はおとなしくしていよう、とグレンは膝の上に拳を乗せて黙りこむ。

 それからしばらく、クローディアは口を開かなかった。グレンの失言──というよりは無神経な発言──には慣れているらしく、怒りが続いているわけではなさそうで、グレンはひそかに深く息を吐く。

 するするとリボンが擦れる音だけが、二人の間にあった。髪を結うときにはクローディアの魔力が髪紐に込められて、毎日繰り返しているのに神の加護を与えられる儀式のような神聖さがある。

 長い沈黙の後、

「んん……あんまり気にしないでいいのかなぁ」

 クローディアが出した結論は、グレンの体から力を抜くのに充分なほどあっさりとしていた。

「気にしない、ってなあ……!」

「いいじゃない。私が信じて、グレンが疑ってれば。役割分担、だよ」

「そういうもんかぁ?」

「そういうものだよ」

 言いながら、クローディアはグレンのそばから離れてしまった。扉の近くにかけてあったケープの内ポケットに櫛をしまう。

「……あ、そういえば」

 と、思い出したように言うと、クローディアはさっと振り返ってチェストのそばへ。引き出しの中から衣服を取り出す。

「これ、グレンにって。その服も、切れたところを直して洗えばいいんだろうけど、もう血が固まっちゃってるでしょ?」

「あ、おう」

 クローディアの言葉につられて、グレンは自らの服に視線を落とす。

 裾を持って軽く広げれば、自分と他人の区別もつかないくらいには血が跳ねていて、爪でひっかけば固まった黒い血が割れて粉のように落ちる。

 二度と着れないというほどの損傷はない。しかし、ひとけのない山の神殿ですごすのはともかく、町へ出るには向かない状況だった。

「着替えたら、話をしに行こう」

 クローディアの声には緊張が含まれていて、グレンはとっさに顔を上げた。

「……あいつと?」

「うん」

 心配させまいとしているのか、クローディアは笑顔を作っていた。

 しかし、どこかぎこちない。加えてじわじわと緊張感が伝わってきて、グレンは息を詰める。

 ──あのときと同じだ。

 と、グレンの脳裏で閃いたのは、襲撃を受けたアルミュールで、人々と一緒に逃げ込んだ建物の中でのことだった。

 そのとき、「私が覚悟しないと」とクローディアは言った。

 グレンの腹の底で、嫌な予感が渦巻いている。アルミュールで鐘の音を聞いたときほど切羽詰まってはいない。どちらかといえば、クローディアが遠くへ行ってしまうような感覚だった。

「これからどうするか、決めなくちゃね」

 ごくりと飲み込んだ喉の音が、やけに大きく聞こえた。