第四章
レゾンがたしなめるように名前を呼んだのも、気にならなかった。
今は確かに非常事態だ。だが同時に、ヴィオレにとっても異常なことが重なっている。
ヴィオレの基礎となった部分は、いまだに崩れ去ったままだ。御堂とレゾンに悪意がないことなど理解しているが、それでも裏切られたという印象は消えない。
なにひとつ解決していない。
誰が正しいのか、幸福の定義はなにか、なんのためにペストと戦うのか、今まで守ってきたヒトとはどんなものなのか。
どれもすぐに答えが出るようなものではないのだが、同時にこれ以上疑念や迷いを持ったまま進むことに、ヴィオレが危険を感じているのもまた事実だった。
渦巻く思考は迷いを生む。ペストに触れられる距離で戦わなければならないヴィオレにとって、それは無視できない要素である。
「──我々はペストと戦う術を持ちません」
少しの間を置いて右手を下ろし、男は話し始めた。
もしかしたら、レゾンからヴィオレの境遇を軽く説明されたのかもしれない。
「しかし、市民の誘導ならできます。それで充分ではありませんか」
うかがうような言葉は、ヴィオレが思っていたよりずっと短く、簡潔だった。
けれど、ヴィオレが求めていた言葉が、そこには凝縮されていたのかもしれない。髪や瞳の色も、住んでいる場所も、それぞれの常識も、ありとあらゆる差を無視して、お互いがお互いにできることをすればいい。
それはヴィオレが手に入れたかった理想だ。
誰かの役に立ち、誰かに求められ、誰かに認められる。たったそれだけのことが、下層ではなぜか難しい。
「では、御武運を!」