序章 咆哮は拳と共に
黒毛に覆われた人外は狼の顔をわずかに緩め、巨大戦斧を軽々と掲げながら言葉を紡いだ。
声の行方は視界の下方。斬撃の軌道の真下。鬼出電入の一撃をかわした人間に向けて。
その人間は、金色の髪を持っていた。
その人間は、首元を黒い布で覆っていた。
その人間は、
「それとも、泣きながら乞──」
鬼でも震いあがる様な、寒気のする笑みを浮かべていた。
ゾクリ、と。
それこそ氷塊にでもぶち込まれたかのような急激な冷えが背筋を覆い尽くし、それに遮られ人外は唐突に声を失った。
視界に入る人間の顔。双眸は濁っているにも関わらず、標的を睨んで捉えて離さない。加えて鋭利に吊り上った口角はこの状況を心底楽しんでいるようにも見える。
何かがおかしかった。全てがおかしかった。気付けば、言い知れない体細胞のざわめきが身体中を覆い尽くしていた。小刻みに震える膝は、恐怖からなのか。
人外は否定する。
自分は人間如きに恐怖を掻き立てられなどしない。
人外は疑念を抱く。
ならば、何故自分は震えているのか。
人外は解釈する。
おそらくこれは、ただの武者震いだと。
人間がゆっくりとした挙動で立ち上がった。目測百八十センチ程度の生物。人外と比べると約二十センチも低い事になる。だが人間が放つ得体の知れない気色は、その等身大をはるかに凌駕していた。
──警告、警告。
パキリ、ポキリと拳を鳴らしながら不敵に笑う人間。
──震え、震え。
細動を繰り返す膝。
──危険、危険。危険。
刹那、固く握り締めた人間の拳が人外の鳩尾を真芯で捉え──