第二章 危殆はトラブルと共に

 しかしながら家主の姿が見当たらない。

 ──戻ってねえのか……?

 鍵もかけずに? と心の中で呟きながら今一歩足を踏み出した瞬間、リッキーの頬を何かが掠めた。

 たらりと滴る血。

 首を動かして横を向けば、鋭利な医療用メスが壁に刺さって揺れていた。

 続けて耳に飛び込んでくる声。

「──客かと思えばお前か。脳筋」

 落ち着き払った、それでいて怒気を孕んでいるような声。

 声のした方へ顔を向けると、そこには家主の姿があった。

 リッキーは家主に向けて軽い調子で言う。

「よお、イアンくん。随分手荒な歓迎じゃねーの」

 それに対するイアンの反応は、淡々としたものだった。

「メスの切っ先に毒を塗っておいた」

「ウソだろ」

「しかし、お前にこの毒は効果がないという事が分かった」

「マジかよ」

「貴重なデータだ。次から毒の配合を変えるとしよう」

 イアンは「ところで」と一拍置いて、

「何の用だ」

 声のトーンを落とし眉根を寄せ、明らかに嫌悪に満ちた表情でリッキーを睨み付けた。

 二人は言うなれば水と油。互いに反発し合い、交わることはない。仮に逆の立場だったとしたら、リッキーも同じ態度を取るだろう。

 しかし今はこの男を頼るほか、リッキーには当てがなかった。

 頼るなんていうと腹の底が今にも煮えくり返りそうになるが、そんな負の感情を押さえつけてリッキーは言う。

「頼みがあって来た」

「…………………………は?」

 たっぷりの沈黙をもってイアンはらしからぬ間抜けな声を吐き出す。