晴れのち雨・2

   〈レイニー・デイ〉限定コード・リファレンス発令より、三十分が経過_


 渡り廊下のトタン屋根を、雨粒が叩く。

「反応なし、か……」

 携帯端末を見下ろして、笠原大輔はぽつりと呟いた。

 モニタ上に表示されているログには、「雨津学園第二グラウンドにて討伐対象確認」という簡潔な連絡が残っている。

 発信者は大輔。同じマップ……雨津にいる〈レイニー・デイ〉全員に送信される、シティギルドチャットを使っての報告だ。しかし、発信してから十分が経過した今も目立った動きはなく、「到着した」という旨の返答もない。

 ビギナーだったら手間取るのも仕方ないか、と諦めて、大輔は端末から視線を上げる。

 雨津学園の新校舎と旧校舎を繋ぐ渡り廊下から見ると、第一グラウンドを挟んだ向こう側、少し低くなっている場所に第二グラウンドがある。

 距離と高低差があるため、グラウンドの全体を見ることはできない。しかし、新型モノノケの頭部ならばここからでも窺い見ることができた。

 イベントデータに添付されていた画像と同じ、新種モノノケ。細長く前に突き出した鼻と口、加えて、頭部に生えた耳が、扁平な顔ばかりの両生類型モノノケとの大きな違いだろう。

 遠吠えをしているらしき画像を見るに、獣の中でも狼に近いと思われるが、同じ形のモノノケが群れている様子はない。

「……まぁ、あんなのがたくさんいたら、初心者ギルドのイベントとしてはハードすぎるだろうけども」

 小さく言って、大輔はもう一度、視線を携帯端末へ。

 チャットログに動きはない。

 コード・リファレンスの残り時間は二時間と三十分。まだまだ余裕はある。

 その辺で苦戦してるプレイヤーでも助けに行くか、と大輔が腰をあげようとしたとき、

「すみません。遅くなりました」

 不意に、背後から声がかかった。

 思わず叫びそうになった言葉にならない言葉を飲みこみ、大輔が振り返ると、二人の少女が笠を畳んで渡り廊下に入るところだった。

 一人は、青い傘。レインジャケットと短パン、長靴を履いた完全防備。口元ではキャンディの白い棒が揺れる。

 もう一人は、赤い傘。帽子と前髪で、顔はほとんど窺えない。ゆったりとしたトップスを着ているが、対照的に細身のボトムスが華奢な体型を強調しているようにも見える。

「連絡を受けてきました。谷越美火(たにごえ みか)です」

 赤い傘の少女が言う。どうやら話しかけてきたのはこちららしい。

 服装に似合わず礼儀正しく、しかしそれでいて堂々としている。帽子の下から大輔を見る目は、覗き込んでいるようにも見えるし、睨んでいるようにも見える。

「ほら」

「エレン。……です」

 美火に促されるようにして前に出た青い傘の少女は、うつむき気味のまま短く名乗る。

 見るからに元気がなさそうだった。もしかすると人見知りなのかもしれない、と大輔は適当に自己完結させて、

「笠原大輔だ。……途中で、他の人たちには会わなかったのか?」

「モノノケの活動が普段よりも活発なようです」

「みんな、いそがしそうだったよ。……です」

 対照的な話し方をする二人の少女の話を聞く。

 (主に美火による)説明を聞くに、どうやら雨津のあちこちでモノノケが異常発生しているようだった。〈レイニー・デイ〉は初心者が必ずと言っていいほど入るギルドであるため、構成員の数でいえばかなり多い方の部類に入る。が、所詮は初心者ギルド。こと「戦力」という数え方をすれば、上級者たちの少人数ギルドにも劣る。

 戦力という点で最初から劣っている〈レイニー・デイ〉だが、さらに非常事態への慣れも全くない。なにせ、今回が〈レイニー・デイ〉史上初めてのコード・リファレンスなのだ。大人数が絡む大きなミッションでの動き方が分からないメンバーだって出てくるだろう。

 考えにふけっている間、少女二人が小声でかわす会話が漏れ聞こえてくるが──「エレン、『です』をつければ敬語になるわけじゃないんですよ」「う……。敬語、むずかしい……です?」──無視を決め込む。というか、聞こえていなかったフリをする。

 盗み聞きをしてしまったような居心地の悪さを感じながら、大輔は結論を口に出した。

「……と、考えると、他のやつらを助けに行ってからの方が」

「いえ」

 即座の否定。美火が首を横に振る。

 束ねられた二つの髪束が揺れる。

「このまま三人で突撃し、早急にコード・リファレンスを終わらせた方がいいかと思います。足手まといにはなりませんから」

 自信満々だった。

 それはもう、危なっかしいとすら思わせないほどに、自信満々だった。

 とはいえ、そうですねと言って幼い女の子を引き連れて未知の敵と戦えるほど、大輔は「失敗をしらない人間」ではない。

「……急ぐ理由は?」

「私は甘乃のマカロンがはやく食べたいんです」

 同年代なら「食い気かよ!」とツッコんでいるところだった。

 すんでのところでツッコミをのみこみ、大輔はエレンに向き直る。

「エレンは? 急ぎでいいのか?」

「うん。飴、なくなっちゃったから。……です」

「…………」

 確かに、エレンの口に合ったキャンディのスティックは手に移っていた。先端にはもう、なにも残っていない。ぴっ、と細い指がスティックをはじくと、ダスト扱いされた白はぼろぼろと崩れて消え去った。

 少女たちにとっては、新型モノノケなどどうでもいいらしい。

 天降甘乃(あめふり あまの)。新型モノノケによって奪われた、雨津の町のアイテムショップNPC──の売るスイーツが一番の関心ごとらしかった。

「…………まぁ、たしかに美味いかもしれないけれども……」

 なんというか、釈然としない。

 気にすることでもないのだろうか。大輔は思わず片手で額を抑える。

「私たちは遠距離範囲攻撃と遊撃が得意ですので、立ち回る自信はあります。ここまで来るのに十分かかりましたが、私たちが一番早く着きました」

 美火は構わずに言う。

 堂々と。物おじせずに。一歩も退かずに。

「助けがなければここまで来ることもできないような人たちよりは、役に立つと思いますが」

 あ、と大輔は声をもらす。

 そのあと、乱暴に頭の後ろをかく。自分は何を考えていたんだ、と罵りたくもなってくる。

 つまるところ──大輔が抱いていた「初心者への遠慮」というものは、「いらないモノ」だったのだ、と。「いらないモノ」どころか「失礼なモノ」だと、ようやく気付いた。

 シティ・ギルド専用のコード・リファレンスは、基本的にチームプレーが求められる。とはいえ、それは「みんなが手をつないで同時にゴールする徒競走」ではない。

 適材適所。あるいはスペック相応の働き。言い換えれば、できることをする。

 チームプレーとは、本来そういうモノなんじゃないのか。なんて意味を、美火が込めたかどうかは分からないが。

「……それじゃ、まぁ……バカみたいな難易度になってないことを祈ろうか」

 大輔が言うと、二人の少女はそろって頷いた。


 コード・リファレンス終了まで、残り二時間二十五分。
 雨はいまだ、やむ気配を見せない。