第三章
「『貢ぎ』」
十中八九、それが浜先かえでと浜先かえでの弟の身に起きている異変の正体であると杏子は語る。
「キャバクラでよくあるよね。オッサンがキャバ嬢にうん十万だかうん百万だかつぎ込んでバッグやら車やらプレセントして最後には自分の生活が破たんしちゃうって話。話を聞いてる側としては、なんでそこまで? ってなるよね。じゃあ、なんでオッサンはそこまでするのか。答えは簡単──気を引きたいから。……かえでちゃん、ちょっと聞いてもいいかな?」
「は、はい」
「かえでちゃんは誰かにプレゼントをしたことあるかな?」
「えっと……はい」
「喜んでくれた?」
その問いに、かえではこくりと頷く。
「うんうん。そっかそっか。それでお返しはもらった?」
「もらいました」
「嬉しかった?」
その問いにも、かえでは頷いて答えた。
「プレゼントして、相手もそれに応えてくれて。そういうのって嬉しいよね。そういう気持ちの在りかを考察するのって本当は無粋で良くないことだから、あまりしたくはないんだけど、根底を開示するとそこにあるのは見返りなんだよね」
贈り物というのは、送り主の気持ちが含まれている。
込められる思いは時と場合と人によって違うから、全て同じにはならないが。ただ、それでも嬉しいと思うその気持ちの根底に存在するものは、同じだ。しかも込められた思いの善悪に関係なく。
例えば、プレゼントに対してプレゼントで応じて欲しいという思いで贈り物をした場合。思い通り、相手がプレゼントで応じてくれたときに湧く感情は『嬉しさ』である。
例えば、なにか欲しい物が相手にある場合。これあげたら喜ぶだろうな、これあげたら使ってくれるよな、という思いでプレゼントを贈り、相手から感謝されたときに感じる気持ちも『嬉しさ』である。