二 天使・告げる

 以降、人間が凶悪な事件を起こすことはほとんどなくなったという。しかし代わりに〈悪〉が人間、他の生物、あるいは無生物すら区別することなく、様々なものを破壊してまわるようになった。

 〈悪〉から他のものを守るため、というよりは〈悪〉を滅ぼすために神が講じた策はあるのだが、その策は不完全という他ない。現に、シルヴィという人間がこうして〈悪〉に襲われている。

 土を散らしながら、〈悪〉が槍を抜いた。相対するシルヴィも、それに合わせて戦闘態勢に入る。意識の奥底に封じていた悪徳を、表面にまで解放。神の意志によって物質化──〈悪〉という存在に昇華しようとするエネルギーを体内に押しこめ、〈悪〉に与えられるはずだった力を得る。

 変化は急速に訪れた。

 シルヴィの赤毛は黒くなり、前を見据える赤褐色の瞳は真紅色に。背中で弾けるような音がしたかと思えば、肩甲骨の間からコウモリの黒翼が生えた。

 姿こそ〈悪〉に近いが、シルヴィの目は理性の色を失っていない。槍による刺突を繰り出す〈悪〉を前に落ち着いて回避行動をとり、反撃。カウンターのようにして、拳を〈悪〉の腹部に叩きつけた。

 ゴッ! と、硬質な音が鈍く響く。

 生物的な柔らかさがない〈悪〉と、力を解放して戦いに特化したシルヴィの拳は、おおよそ同程度の硬度を持っていた。逃げ場のないエネルギーが〈悪〉の体に突き刺さり、両足が宙に浮く。

 人外を殴り飛ばしたシルヴィが追撃。致命傷になりうる頭部ではなく、槍をたずさえる右腕を狙って足を振りおろした。

 再び響いた音は、やはり鈍い。しかし、それが意味するところは先刻とは大きく違う。