閉幕 カーテンコールは素顔で

 詩織。

 その名前を見て、私の足はぴたりと止まってしまった。

 未練など、ない。ないつもりだった。

 けれど、戻ることを少しだけ考えてしまう。彼女の強い光は、私にとってそれほどまでに魅力的だった。それさえあれば、私は人を殺さずに生きられる。──彼女の光さえ失われていなければ。

 仮に戻ったとして、彼女が変わらずに接してくれる保証はない。それどころか私は殺人者で、警察が身柄を拘束するだけの証拠はいくらでも揃っている。

「時間が必要ですか?」

 青年に声をかけられて、私はようやく我に返った。

 再びスマートフォンに目をやると、すでに画面は暗転している。うっすらと自分の顔が反射されるのみで、心が締めつけられるような要素はない。

「もう、これは必要ないんでしょう」

 青年は口をつぐんだ。

 そう。判断するのは私だ。

 私はスマートフォンの電源を切り、手近なゴミ箱に投げ込んだ。そのまま歩みを再開し、とがった耳の青年の導きに従う。

「待たせてしまってごめんなさい。行きましょう」

「よろしいのですか?」

「えぇ」

 捨てるべき過去を捨てただけ。

 惜しむ必要も、悲しむ必要もない。

「彼がいるなら、それで」