第三章 終末にはまだ早いと精霊魔術師は云う

「街路児は可哀相だと世界は言う。だが、世界は私たちに何をしてくれた? 私はそんな世界を変えたい。狂った世界を変える為に街路児(仲間)を糧に運命の女神の力を得た! この翼があれば、私は、人類の先導者になれるこの狂った世界を叩き直し、救う事が出来る! しかしそのガキは女神として生まれた者だ。女神として生まれた者が女神としての象徴を失っては、存在が消えて無くなるのが運命! だがそれすらも世界改変の糧になるのだ!」

 リッキーは拳を、握る。

 無茶苦茶な理屈だと思う。

 こじ付けな理屈だと思う。

 確かに、街路児を包括する問題は世界的に闇が深いのは事実だ。だが、自分が何かを得るために、誰かを犠牲にしてもいいと言うのか。

 他人が何かを奪われれば、何かしらの利益が得られると言うのか。

 この世は、誰かが笑い、誰かが泣きを見る世界だ。それはリッキーも分かっている。しかしそれでも、そうだとしても、ティアが何をした。一体何をしてこんな仕打ちを受けている。存在を失うような危機に瀕している。もしもこれが因果応報だと言うのならば、その因は、彼女が女神だったからだとでも言うのか。そういう運命だったのだから仕方ないと、その一言で片づけてしまうのか。

 そんな、単純な世界でいいのか。

 ──いい訳ねえだろ、バカヤロォ……!!

 例えば自分一人の力ではどうしようもなく、どうにもできない現実が目の前に広がっているとして、与えられた壁を定めだと解釈し、目を背けるのはただの逃げだ。

 例えば、誰かの言うことに促され、成功に至ることなく地に這いつくばる結果になったとして、他人に原因を当てつけて自身を正当化するのはただの言い訳だ。

 それらはどうしようもなく、どこにでも、いつの世界にでも蔓延っている。

 当事者の善悪に限らず。また、意志の有り無しに関わらず。

 逃げた者も、言い訳を並べる者も、それら全ての者が悪いとは断言できない。人生は選択の連続だ。

 しかし、

 干渉されなければどうなる事もなかった者を蔑むのは、あたかも従わない方が悪いと暗に主張するのは迫害である。救いなどではない。