第三章

 がさがさとビニールの擦れる音が続く。彼は腕で自転車のハンドルを抑えたまま、鞄の中を覗きこんでなにかを探しているらしかった。

「ん、じゃあこれ貸すよ。面白かったからさ」

 鞄の中から彼が取り出したのは、見覚えのありすぎる紺色のビニール袋だった。

「いやいやいや、今やっと返せたところなんだし」

「気にしないでいいって」

「ほら、返すの遅くなるし」

「適当に返してくれればいいから」

 そう言って、彼は押しつけるようにして紺色のビニール袋を渡してきた。ただ、さっきの『北欧神話物語』がハードカバーだったのに対して、今回は文庫本サイズだ。

 だからなんだ、という話なのだが、彼は聞く耳を持っていないらしい。

「じゃ、また今度」

 今度がいつになるのかも分からないのに、さらりと言って彼は自転車にまたがり、ペダルをこぎ始めてしまった。

 ひとけのない、たんぼの真ん中に取り残される。わざわざこんな所に呼び出して、普通の話をして、本を返したと思ったらまた借りることになって──一体、私がなにをしたというのだ。

 長く息をはいて、私はビニール袋にぴったりととめられたテープをはがす。新しいそれは粘着力が強く、接着面に触れていたビニールが伸びて紺色が薄くなってしまった。

 中から取り出した本の表紙は、濃い水色の中に赤いキンギョが映える色使いだった。神話、じゃない。タイトルは、『伊豆の踊子』とあった。

 なにを考えているのか、まるで分からない。

 真意を問おうにも、彼の自転車はすでに遠くの住宅街に入っていくところで、足で追いつくことなどできそうになかった。