第一章 春の祭りと財布事情
前の騒動の首謀者である王都からの使者ヒューゴーは確かに拘束され、世界の果てにあるという囚人島へ投獄された。
しかし、これで『女神の力』を有するティアの身の安全が保障された訳では断じてない。
おとぎ話の中だけの存在だと思われていた『女神の力』が実在することが分かってしまった以上、それを求めて接触を図ってくる者の存在が考えられる。
言うなれば、世界改変を目論む第二第三のヒューゴーの存在が否定できないのだ。
加えてティアは自身が『女神の力』を宿している事を知らない。そして前の騒動で一体どれだけの犠牲が出たのかも知らない。
こんな小さな子供が取り急いで知る必要も、ないけれど。だから、代わりに事情を把握して保護してやれる大人の存在がティアには必要なのだった。
このような経緯から、リッキーはティアと生活を共にしている。
共同生活をして、ティアについて分かったことがいくつかある。
一つは、意外にも裁縫が得意ということ(得意なこと、これのみ)。一つは、嘘をつく時に尖った耳が動くこと(それはもう分かりやすく)。一つは、真名で呼ぶと機嫌が悪くなるということ(愛称ティアで呼ばなくてはならない)。
一つは、
「あ、そうだリッキー」
「今度はなんだよ」
「いいこと思いついたよ!」
「……期待はしねえが聞こう」
「どうせチーズは売れないんだから、ぜんぶたべて他のお店まわろ!」
「あのねキミィイイイ!」
本気のバカだということ。
リッキーたちの両隣に構えた店の人間が、二人のやり取りを苦笑しながら見守る。
向かいの店の主人からは「あんたら漫才でもやった方が儲かるんでないかい?」と言われ、通行人からはどこかほっこりとした笑みを向けられた。
「うーんリッキー、このチーズやっぱりマズいね!」
「どの口が言ってんの!? ねえどの口が言ってんの!?」
そこから先は、もう早かった。
残ったチーズを幼女が食べ尽くすまで一瞬。リッキーがティアの頭を掴んでシェイクするも時すでに遅し。一瞬の隙を突いてティアが抜け出して逃走。
リッキーが店のスペースを適当に譲り、追って駆け出す。
途中、長髪の男にぶつかったので謝罪したが向こうから反応はなし。
──っと、無反応かよ。
しかし、感じが悪い、というような雰囲気の男ではなかった。ぶつかったのはこちらの不注意のせいだから、向こうの反応がどうこうという問題ではないのだけれど。
と、少しだけ立ち止まっていると通行人でできた人垣の向こうから、
「おじちゃーん、それちょーだい! リッキーにツケといて!」
不穏な言葉を放つティアの声が。
「あんにゃろ……!!」
本日はアザリア豊穣祈願祭。
街の近くにある採掘場で打ち上げられた昼花火が、いつもよりほんの少しだけ騒がしい一日の開幕を告げた。