第二章 深奥に滲む
「暁の二人、の物語をローヤ様はご存知ですか」
唐突になんだとローヤは訝しんだが、その話は知っている。大人から子供まで、老樹の国(アトウッド)で幅広く読まれる絵本のタイトルである。
おそろしく腕の立つ主人公二人が旅をする冒険物の作品だ。
「ああ。で、それがどしたの」
「では、あの物語が、四百年前の実話を元にしたお話だということはご存知でしょうか」
「実話? おいおい冗談は俺だけにしてくれよ。だってあれは」
あれは、竜を倒して閉幕する蛮勇のおとぎ話。
現実には存在しない蜥蜴の王を滅ぼす空想のお話のはず。
そこまで絵本の内容を思い出してローヤは言葉を止めた。止めて、主人公二人のことを顧みる。
一人は千もの刃を宙に漂わせ、身の丈もある大刃を振るう英傑の王。片や莫大な魔力(マナ)で炎を従え魔の法を振るう術師。
王は薄い青みがかった髪を。術師は灰色のような銀髪をしていた。
「二人は竜を征伐なさった後、国に戻り次の冒険を約束し、その時まで静かに暮らしました」
絵本に描かれた終の文章を口上するミラベルは、そこで一旦区切って、
「しかし二人が共に冒険へ出かける事は、これ以降なかったのです。何故なのか? それは、術師が居なくなったからです」
*
白の花弁が一陣の風に乗って通り過ぎていく。
その風下に立つ白群色と天鵞絨色の後姿を視界に捉えたまま、イドは動けずにいた。
彼我の距離は、そう遠くない。
歩み寄ればたちまち埋めることが出来る程度の隔たりだ。しかしイドには千里にも届きそうなくらい遥かな道程に感じた。
原因は、分かっている。
足元。
彼の足元に広がる魔法陣が全てを物語っている。
陣は通常、図形の組み合わせで術式を成り立たせている。そこへ文字を書き足すことで追加効力の付帯を実現する。
視界に入る魔法陣を読み解く限り、その役は活動を、その意は裏返しをそれぞれ象徴している。
つまりは────。
解読していると大つばの帽子を被った人間がこちらに気付いた。
それに連なって大蜥蜴が翼を解放して口腔を開け広げる。喉奥に滾る炎は一瞬で膨れ上がり次の瞬間には放たれていた。
動け!
過ぎ行く刹那の中で脳髄が叩く命令に従ってイドは右手で虚空を切る──が、
──ッ! 魔力(マナ)が!
言う事を聞かない。
防護の壁を引っ張り出したつもりが何も起きなかった。
ならばせめて。イドは地面を蹴って墓の前に立ちふさがる。そして奥歯が割れるくらい噛み締め、迫る火球を見据えて胸中で叫ぶ。
気を確かに持て。絶対に受け止めろ。