W 腐敗した風
「……一人で、か?」
「それをできるのが私だけでしたから」
ニコラは口調を変えない。その異様さが、十三番の背に寒気を走らせる。
不変と停滞を求め、建物全体を同じ状態のまま維持し続ける。
風の流れすら留めるほどに長く続けられた習慣は、もはや魔術と言って差し支えない。
「ですが、【死神】はあなたを呼びました」
ニコラの笑みは、淡々とした声に反して深い。
「死と再生、それに伴う変容を司る【死神】は、不変の神殿を良しとしなかったのでしょう。だから、わざわざ遠くからあなたを呼び、自分を魔術として発動させた」
「いいのか、自分がやったことを台無しにされて」
「腐った風を吸い続けるのにも飽きていましたからね」
中庭に流れる風が深紅の衣を揺らして、ニコラの手が愛おしげに布を撫でる。
呼吸による変化すら拒む風は、十三番の中に記憶として残っていても、そこには実体がない。
故に、ニコラがすごしてきた長い停滞のときを、十三番は想像するしかない。
建物に囲まれた中庭の風にすら笑むニコラは、自らの手で作りあげた停滞に首を絞められ続けていたのだろうか。
「ずっと」
ニコラが吐き出すような声を出した。
「ずっと門扉を開けたままにしておいたのです。訪れた誰かを拒まないように。自分が維持した停滞のおかげで、その誰かは長らく来ませんでしたが」
「やめようとは思わなかったのか」
十三番が思ったままに投げた問いには、自嘲するような苦笑が返ってきた。
なぜでしょうね、と答えたニコラの声は弱すぎて、芝の葉が擦れる音にすら紛れこむ。
ニコラと【世界】が同様に人間の域を超えているのならば、停滞の維持は単なる惰性で続けられていたとも考えられる。
長く生きれば、その分ずっと続けていた習慣をやめることも難しくなるのか──と推測して、十三番は思い至る。
アルカナとの同一化と、人間から魔術への変容。
その二つが人の寿命を超越するのならば、惰性で生きてしまう可能性は十三番も背負う業だ。
名も知らぬ誰かの死と引き換えに得たものとしては、皮肉すぎる。
「長く生きすぎるのは、辛かったか?」
十三番が重ねて問うと、ニコラは少し驚いたような顔をした。
そして、顎に手を当てて考えるようなそぶりを見せる。
「さあ……どうでしょうね。毎日が同じでしたから、長いも短いも、辛いも楽しいもなかったような気がしてきました」
気の抜けるような答えを出したニコラは、少し楽になったような表情をしていた。
「単調で変わりない日々をすごしている間は苦しいものですが……終わったあとに、一つの期間として振り返ってみると短く感じますね」
「そんなものか」
「……そんなものです」
ニコラは言いにくそうに肯定して、十三番は首を振って気遣いに応える。