二 師・語る
木々の隙間に蝙蝠のような翼が見えて、シルヴィは進もうとしている体に制動をかける。足元で軋む枝を無視、曲げた膝に力を入れる。
バキン! と音をたてて太い枝が折れたとき、シルヴィの聴覚はすでに風の音で支配されていた。細かい枝葉に構わず、速度だけを重視した突進。
振り返った相手の顔へ、シルヴィは拳を叩き込む。
見切れるような、生易しい速度ではない。だが、拳を捉えた赤い瞳は、微塵も揺れずにその動きを見送った。
首を傾けただけの回避。
奥歯を噛みしめるにとどめ、シルヴィは着地と同時に攻撃を再開する。
両の拳を駆使した超近接戦。相手の正面に陣取り、距離をとる隙間すら入れずに打撃を繰り返す。そのすべてがことごとく宙を切り、当たったかと思えばいなすための掌がかすめていくだけで、明確な手ごたえがない。
赤い瞳は、まっすぐにシルヴィを見つめている。
破壊衝動に狂ったそれではない。
黒い髪と赤い瞳、蝙蝠の翼を持ったヒトガタは、多くの場合悪徳にまみれた破壊衝動の塊だが、「彼」はそうではない。
──そう、これは訓練。
シルヴィは拳を止めず、熱に浮かされた頭を冷やしていく。
破壊がヒトの形をとったような存在である〈悪〉の力を、理性をもって御するのがシルヴィと彼を含めた〈悪使い〉たちだ。
だから、熱くなっているだけでは彼には敵わない。
息をつめ、シルヴィは右足を繰り出す。
「────っ!」
不意打ちに、今日初めて彼の赤い瞳が揺れた。
側面からの衝撃で力の抜けた膝は、体を支えるだけの力を持たない。
すかさず、シルヴィは拳を握りなおした。行ける、などという思考は投げ捨て、最適な軌道で追撃──できなかった。
地面を踏みしめていた両足が、宙に浮く。
視界が反転。
黒く染まったポニーテールの毛先が見えて、シルヴィは自分が投げられたことを知る。
さほど力は入っていなかったようで、シルヴィの背中は思ったよりもはやく地面に叩きつけられた。とはいえ受け身を取り損ねた体には呼吸が止まるほどの衝撃が走り、シルヴィは咳き込んで空気を求める。
黒い髪と赤い目は元の色へ。蝙蝠の翼もかき消える。
次いで、シルヴィを投げ飛ばした方の彼も、バランスを取り損ねて倒れ込む。ため息一つこぼすと、黒かった短髪はくすんだ金色に戻っていく。
「まさかあそこで足が来るとはね」
乾いた笑みをこぼしながら言った彼の呼吸は、まったく乱れていない。
よ、と軽い掛け声とともに立ちあがって、ぱたぱたと服の埃さえ払ってから、彼はシルヴィを覗き込んだ。緑色を帯びた灰色の瞳は、赤かったときよりもよほど柔らかい。
「立てるかい?」
言葉とともに差し伸べられた手を掴み、シルヴィは立ち上がる。