Scene.1 仮面は色を装えない
ごまかすように、私はトーストをかじった。
苺ジャムが口の端について、指でぬぐう。
ちらりと目を向ければ、指先は赤く汚れている。だが、昨日のような感動はない。
同じ赤、のはずだ。
厳密に言えば違う赤なのだろうが、私からすればどちらも同じ赤だ。
果肉と血液。
二つの間にある差はなんなのだろう。
あるいは、重要なのは色ではなくて、
「あ、そろそろ急がないといけないんじゃない?」
思考は、まとまりけたところで中断された。
手放してしまったものを取り戻せるはずもなく、私は内心で歯噛みする。
相変わらず、母は明るい色を放っている。理性の隙間からどす黒い欲求が噴出しかけて、私は慌てて灰色で塗りつぶした。
理性と社会と常識と道徳が混ざってできた灰色は、私という個を塗りつぶして、周りに溶け込ませてくれる。
見透かされるわけにはいかない。
私の異常性は、社会に受け入れられるものではない。その程度、私自身がよく分かっている。現に、私はすでに罪を犯している。
そして、まだ捕まるわけにはいかないとも思っている。
私は朝食を胃に押し込んで、家を出た。
気をつけてね、と言った母は、果たして気付いているのだろうか。
娘である私が殺人鬼になりかけている、と。
*
無感情なアナウンスが、駅のホームに注意を促した。
私の家の最寄り駅から各駅停車に乗り込む人の数は、さほど多くない。ほとんどが見慣れた学校指定のコート姿で、私と目的地を同じくする学生たちだ。快速が止まる対面のホームには人が列を作っていて、そのほとんどが会社勤めらしい大人たちだった。
ホームの真ん中、案内板のとなりで電車を待っていた私は、滑り込んできた車両に合わせて学生たちの列に混じる。
電車が来るのを離れて待つのは、そうでもしないと前に立つ人の背を押してしまいそうになるからだ。
昨日、実際に人を殺して、私の慎重さはさらに増していた。灰色の仮面が剥がれると理性の声が弱くなることは、すでに明らかになっている。一度「やろう」と思ってしまったら、この体は簡単に人殺しを実行するだろう。
こんなところで下らない余罪を重ねていいはずもない。
扉の開く音がして、私は伏せていた視線をあげた。
人の流れに身を任せて電車に乗り込み、出入り口の近くを陣取る。どうせ乗るのは二駅、わざわざ座る理由もなかった。