序
1
まるで知らなかった、と言えば嘘になる。
六呂師司(ろくろしつかさ)は、軽快に黒板を走るチョークの音を耳に残しながら、廊下側の列に視線を送った。
空席がポツリ。
後ろから二番目。六呂師の席とは点対称の位置にある机。そこにあるのは、新学期の初日、四月八日付けで御所野高校へ転入してきた転校生の席──つまりは、当夜坂凜子(とうやざかりんこ)の席だった。
ショートワンレングスボブの大人しそうな女子。
それが、六呂師を含むクラスメイト全員が抱いた彼女の第一印象である。
しかし印象というのは受け取り手の主観でしかなく、その実態は大きく違っている場合が多い。なんて言うと、まるで当夜坂凜子は外見とは裏腹に、天真爛漫、明朗活発な女子であるという誤解を生みかねない。
だからと言って彼女の中身を開示しようとしても、それは無理な話だった。
表面化されていることが真実とは限らない。
されど、内包しているものが本質であるとも言いきれない。
真実。
本質。
人は正解を知りたがる。
人は間違いを探す。
社会通念上の正を求め、精神衛生上の正を求め、自己判断上の正を主張する。
正解を知ろうとするのは、自分の正しさを証明するため。間違いを探そうとすのは、それを発見、提示することによって逆説的に自分の正しさを証明することになるからだ。
しかしそれは皮肉なことに、時として間違いになる。
正しさを証明することによって、その後の出来事が間違いへと変貌する場合がある。
では、正しさとは何か?
間違いとは何か?