第四章 国境の町

 向かいに座るルシアンも軽く息をのんでいて、グレンは思わずクローディアの方へ向き直る。

「は、え……? クローディア……?」

「ごめんね、グレン。勝手にこんなこと言って。でも……私、もう始めなきゃ駄目だって気付いたの」

 ちらりとグレンへ向けられたクローディアの瞳には、強い決意が込められている。

「今までだってフリーデンはいくつも町を襲ってきたって、頭では分かってた。でも、リヤンとアルミュールで肌で感じてしまったから、もう見ないふりなんてできないでしょ? ……それに、グレンが隣にいてくれる」

「…………」

 グレンがなにも言えずにいると、クローディアは視線を外して正面へ向きなおった。

 応えようとして言葉に詰まった自分が腹立たしい。正直に言って、グレンは今すぐエル・プリエールへ戻りたい──いや、正面に座る男の前から一刻も早く逃れたい。

 それなのにクローディアは、

「私の役目を成すために、力を貸してくれませんか」

 ルシアンを信じて、そんなことを言ってのける。

 クローディアの提案を、そもそもグレンが受け入れられない。だが、もはやグレンが口を出すタイミングではなく、そっとルシアンの様子をうかがう。

 その表情は、思っていたよりもずっと穏やかだった。

「あなたにそう言っていただけて──光栄です。クローディア」

「それじゃあ……」

「ええ、もちろん。あなたが協力してくれるのであれば、先に女王へお伝えしなければなりませんので……この手紙を用意していたのです。もし首都へご同行いただけるなら、早馬で手紙を送ります」

 言って、ルシアンはソファの間に置かれた低いテーブルへ、赤い蝋の捺された封筒を置いた。そして、沈黙を挟んでグレンへ視線を向ける。

 同時、それまでなりをひそめていた不安感が、唐突にグレンを襲う。

「お連れの方が了承してくださったら、の話ですが」

 ぐ、と喉に力が入って、グレンは軽く顎を引いた。

 隣に座るクローディアが、不安げにグレンの方を見ている。

「俺は……やっぱ信用できない」

「グレン」

「エル・プリエールに戻っちゃダメなのか? 向こうに同じように言っても協力はしてくれるだろ?」

「それは……」

 クローディアの声に力はない。

 アルミュールでの兵士たちの態度は、グレンも気にかかっている。それでも、クローディアが神の娘として彼らの前に立てば、対応に変化があるのかもしれない。

 不確定であっても、グレンはそれに賭けたかった。

 ……のだが。

「アルミュールへ戻るつもりでしたら、我々が送ることはできませんよ」

 と、ルシアンが口を挟む。

「クローディアがルジストルでなくエル・プリエールを頼るとなれば、教皇はそれを口実にこの国を属国とすることができますから」

「そんなこと──」

「どうでもいい、ですか?」

 ルシアンは相変わらずグレンへ目を向けたままだった。

 声音にも変化がないのに、視線だけ温度が下がったようにも感じる。冷ややかで、少しの動作も見逃してはくれなさそうな、鋭い目だ。

「っ、そりゃそうだろ。俺たちには」

「関係、あるよ。グレン」

 再び、グレンは言葉の途中で遮られた。

 今度はクローディアだ。グレンの手首を掴む手が、一瞬だけ力を強める。

「そんなことになったら、戦争が広がっちゃう」

「クローディアがうまく説得すれば、なんとかなるかもしれないだろ?」

「私の言うことを信じてくれれば……ね」

 そう言われてしまえば、グレンは反論の言葉をなくしてしまう。そもそも、アルミュールの兵士がクローディアへの対応を改めるかどうかの時点から、すでに賭けなのだから。

 グレンが黙っていると、ルシアンが軽く息を吐いた。

「なにか気にさわりましたか? お二人に都合の悪いことをした覚えはないのですが」

「別に、そんなんで疑ってるわけじゃねぇ」

「ではなぜ?」

「勘だよ」

 断言するグレンに対し、ルシアンのまとう空気がわずかに変化した。表情には動きがないので分かりにくいが、返答に時間がかかったのは困惑のせいだろうか。見定めるような視線はそのまま、緊迫した雰囲気が緩んだようにグレンは感じとる。

「……なるほど、勘ですか」

 それだけ言って、ルシアンはもう一度──今度はため息のように──息を吐き出した。

 同時に視線がそれて、グレンはその隙にクローディアの様子をうかがう。ちょうどクローディアもグレンの方を見ていて、眉尻の下がった不安げな表情を向けられる。

 その不安は、じわりとグレンの方にも伝わってきた。追い打ちをかけるように、ルシアンが言葉を続ける。