第四章 国境の町
間に置かれたベッドを飛び越え、鞘を抜き捨てる。驚くクローディアをかばうように立つルシアンへ狙いを定め、切っ先を向けるが、
「グレン! 駄目!」
クローディアの叫びを聞いて、足裏が板張りの床を踏み掴む。剣の刃が潰れ、所々欠けていることに、グレンはようやく気付く。
剣の下ではルシアンが右掌を扉へ向けていて、その先で副官らしい黒髪の男が剣を半ばほど抜いて止まっていた。
「どうやら間が悪かったようですね」
この状況にあっても揺れない声に、グレンは弾かれるように視線を戻す。表情一つ変えず、見定めるようにグレンを観察していたルシアンは、その視線を受けて微笑すら作ってみせた。
気味の悪さを感じて、グレンは顎を引いて腕に力を込めなおす。その不安を感じとったのか、ルシアンの背にかばわれていたクローディアがグレンの前へ歩み出た。
「剣を下げて」
「……けど」
クローディアの言葉には従わず、グレンは剣を構えた姿勢を維持する。逆らう、というわけではないのだが、グレンの中ではクローディアに対する信頼よりもルシアンへの不信が勝っている。
今も、ルシアンから目をそらすことはかなわない。
「グレン……!」
「結構ですよ。そのままで」
必死に説得しようとするクローディアを遮り、ルシアンはあっさりとグレンから視線を外した。扉の近くで待機していた副官へ目を向けて頷くと、わずかにためらいを見せた後に剣が収められる。
対するグレンは困惑するしかない。刃が潰れているとはいえ、剣を向けられてなぜ平然としていられるのか。疑念を抱く間にも、ルシアンはクローディアに、グレンの近くへ行くように促している。
剣を持たない手でクローディアを背にかばい、グレンは困惑の目をルシアンへ向けた。しかし当然、その疑問を解消する言葉など、返ってくるはずもない。
「動いても?」
右手を広げて胴から離したまま、ルシアンが確認するように問う。グレンが迷う間に、ルシアンは敵意がないことを示すようにゆっくりと一歩下がった。
「朝食を置いていきます」
「毒、入ってないだろうな?」
「……毒見はご用意できませんが、昨晩クローディアにお出ししたものと同じですよ。一応、二人分にしておきました」
言いながら、ルシアンは抱えていた紙袋を右手に持ち直した。数歩足を進め、扉の正面に置かれたチェストの上に乗せる。そのまま、扉の方へ──グレンから両手を隠さないよう、神経質に害意を見せずに──ゆっくりと下がっていく。
「クローディア」
あと一歩で廊下へ出る、というところで、ルシアンは立ち止まって声をかけた。
「部屋の前にノークス中尉を待たせておきます。落ち着いたら声をかけてください」
では、と言葉を残して、扉は音も出さずにゆっくりと閉められた。
その後、部屋の前から足音が遠ざかっていくのを確認して、グレンはようやく体から力を抜く。と、背後から聞こえたのはクローディアのため息だった。
「グレン……なんでこんなこと」
振り返れば、桃色の瞳は不満げな感情を含んでグレンを見つめていた。自分の行動をそこまで否定されるとは思わず、グレンの肩がぎくりと震える。
「クローディアはあいつのこと信じてるのか!?」
「信じてる、というか……」
クローディアの返答は歯切れが悪い。なにがクローディアをためらわせているのかは分からないが、グレンはひとまず投げ捨てた鞘に目を向けた。
ベッドとサイドテーブルの隙間に落ちていた鞘を手に、剣の状態を再確認。ボロボロになった刀身は、もはや刃としての役割を果たせないだろう。刃物というよりは鈍器の方が近い有様だった。
戦えないこともないのだろうが、その程度の武器ではクローディアを守れない。
グレンが剣を鞘に戻し、クローディアに向き直ると、途切れていた言葉がようやく繋がれた。
「……うん。ルシアンは、信じていいと思う」
俯き気味ではあるものの、その表情があまりにも真剣で、グレンは息をのんだ。
自分がルシアンに抱いた違和感は、クローディアにはないのだろうか? と、疑問を口にすることすらできない。
「勝手にアルミュールから離れてしまったのは、ごめん。グレンを守るためにはこれしかなかったの。……我を失くして暴れた後、そのまま眠っちゃったでしょ? それを見た人がたくさんいて」
「もしかして俺、まずいこと……」
「フリーデンの兵士としか戦ってなかったよ。そこは、大丈夫。でも、他の人には危険だと思われるかもしれないし」
「う……」
グレンが後ろめたく声を漏らしたのは、そう言われるにたる記憶が抜けているからだ。
少なくとも、剣の刃が潰れるほどのことはしているのだが。
「そもそも、私やグレンになにかしようとするなら、グレンが起きる前の方がいいし」
「まぁ、そりゃあ、そうかもしれないけど……」
「そうだよ。だから、私は信じる」
言いよどんで頬をかくグレンに対し、クローディアは断言してようやく笑みを浮かべた。
そして、あっさり紙袋へ意識を向ける。