レイニーデイ・ハント:2

『それでは、よい雨の日を』


 機械音声が言い終わる前に、青い銃から放たれた弾丸はモノノケの額に命中していた。

 雷のような轟音が、雨の降る音の隙間に生じる。

 衝撃に身をよじったモノノケが、泥水のような体のごく一部を公園にまき散らす。

 苦しみ、悶えているはずなのに、うめき声のひとつもあげないのが、逆に気味の悪さを増幅させている。銃声の残響の後には、水の音ばかりが残されていた。

「……ちょっと、大きいな」

 感想とも確認ともとれる呟きが、エレンの口からこぼれる。

 エレンが扱う青い銃──ネイビー・ブルーは、雨津で誰もが手に入れられる武器ではあるが、長い時間を共にした相棒だ。

 初心者向けの町である雨津内で可能な限りの強化とエンチャントを行い、ある程度のモノノケならば一発か二発の弾丸で片づけられるほどにまでなっている。

 エレン曰く「中吉」程度の攻撃力増強効果もあって、今日のデイリークエストは簡単にこなせるはずだったのだが。

「当たり、引いちゃったのかな」

 雨津のエリア内に存在する、一般のゲームルートならば倒す必要のないモノノケ。

 それは、「自分の身の丈に合わないエネミーへの対処法」のチュートリアルに使われている。

 デュランダル・オンラインのデス・ペナルティは、二四時間のログイン制限。プレイヤーは、「なるべく死なないようにする」ことを学ばなければならない。

 もちろん、エレンも経験したチュートリアルだ。対処法なら心得ている。

 ──が、機械音声はモノノケを討伐対象として認識していた。

 一瞬、ゲームの不具合か、と思うも、エレンは初心者の町に長く留まりすぎているような気もする。もしかすると、「プレイヤーに合わせたエネミーランクの調整」が行われたのかもしれない。

 一人でプレイしている、今日に限って。

 眉を寄せるエレンを前にして、銃弾のダメージから立ち直ったモノノケは再び戦闘態勢をとる。

 やるしかない。エレンが腹をくくると同時に、モノノケは身をよじらせながら突進してきた。

 巨大な体に見合った、鈍重な動き。エレンは落ち着いてルートを定め、走って突進を避けながら射撃を返す。

 大きな体に弾丸を当てることならば簡単だ。ただ、命中させるだけでは額に当てたときほどのダメージは与えられない。

 巨大なモノノケに銃で致命傷を与えるには、射撃姿勢を保持して、しっかりと狙いを定める必要がある。

 そしてその前に、モノノケの動きを止める必要が。

 今の装備と消耗品で、それが可能かどうか考えると──

「銃はだめか」

 エレンはレインコートのポケットに手を突っ込み、幾度も繰り返したコマンドを端末に叩き込む。

 画面を見る必要などない。入力完了の合図ならば、機械音声が教えてくれる。


『スキル準備完了。メインスキル【ジャンパー】の使用が可能になりました。最終コマンドを入力してください』


「〈わたしは〉──」

 エレンの最終コマンドは、その半ばで途切れた。

 突進を終え、狭い公園の中で器用に体の向きを変えたモノノケが、こちらに顎の下を向けて大きくのけぞっている。

 遠距離攻撃の予兆。

 回避が先か、スキル発動が先か。その二択を、エレンは決めきることができなかった。

 モノノケが振りかぶって口から吐き出したのは、泥水の塊。

 ギリギリで横方向に跳躍して回避したエレンだったが、泥水は地面に当たって弾け、左足に飛沫がこびりついた。

 同時に、ずしりと体が重くなる感覚。

 ──ステータス「速度」低下。と、携帯端末を見るまでもなく判断し、エレンは後退しながらモノノケに銃を撃ち続ける。

 じわり、と背中に感じる汗が気持ち悪い。

 同時に、自分がソロプレイにとことん向いていないことを思い知る。

 その場その場で最適な判断を下さなければならない戦闘で、エレンはどうにも思考に時間をとられてしまう。考えることが許される時間は戦闘中にどんどん短くなっていくのに、思考速度はいつまでも平常のままだ。

 焦らないだけマシだよと言ってくれた、冷静すぎる友人は隣にいない。

 そして、弾丸は当たってもモノノケの動きを遅くするだけで、動きを完全には止めてはくれない。

 ──勝てない?

 思わず弱音を吐きそうになった口を、エレンは意識してつぐんだ。

 デュランダル・オンラインのデス・ペナルティは二四時間のログイン制限だ。

 いまペナルティを受けたら、明日、友達とゲームができなくなる。

 なにより──おやつの時間と資金がなくなってしまう!

「〈わたしはあなたを飛び越える!〉」


『最終コマンドを確認しました。メインスキル【ジャンパー】、発動します』


 音声コマンドを入力したエレンの両足で、小さな翼が羽ばたいた。

 デフォルメされた翼は、左右のくるぶしに五対並んでいる。それは、五回に限り跳躍力を高める【ジャンパー】の回数制限を示していた。

 スキル発動を確認すると、エレンは射撃を続けながら、モノノケの視界から外れるように横方向へ跳躍した。くるぶしに並んだ翼の一対が、光の粒子になって消えていく。

 跳躍に、ステータス「速度」低下の影響はない。

 気にするべきなのは、跳躍中の体勢制御と、攻撃時の行動速度。銃を向けて狙いを定め、引き金を引く……などという悠長なことはやっていられない。

「銃形態から剣形態へ!」

 エレンの叫ぶようなコマンドに応え、青い拳銃はその姿を変える。

 現れるのは青い刀身。細長く片刃で反りもあるものの、刀というよりはサーベルに近い形状をしている。

 剣の柄を握り直しながら、エレンが着地する。水たまりの上を滑るようなブレーキに、大きな水しぶきがあがった。

 足を止めたと思っていた獲物を逃したせいか、モノノケは忌々しそうに足踏みする。対するエレンといえば、思い通りに動かない体に苛立ちながらも次の跳躍の姿勢を整えている。

 剣で相手を倒そうとするならば、まず接近しなければならない。

 とはいえ、正直に直線的なルートを辿れば、手痛いカウンターを食らう危険性が高まってしまう。先ほどのような飛び道具を、モノノケがいきなり放ってこないとも限らないからだ。

 公園の時計に目をやる。長針を読む間もなく、隙を見つけたモノノケが頭をのけぞらせた。

 視界の端でモノノケの動きを捉え、エレンは目を向けた方向へ跳躍。くるぶしで一対の翼が消え、残りは三対。地面を蹴った後、背後で泥の塊が破裂する音を聞きながら、エレンは時計を支える柱に向けて跳ぶ。

 重力に逆らう山なりの跳躍。上昇する力が重力に負ける直前で、エレンの足が時計のガラス面を踏みつけた。

 丁度、時刻を示す針の中心辺りに足をつけたエレンは、重力に体を掴まれる前に時計を蹴る。

 雨音に紛れ、ビシリとガラスにひびが入る音が耳に届く。十六時七分を示して止まる時計には目もくれず、エレンは一直線にモノノケに向かう。

 ほとんど落下のような跳躍ののち、エレンが足をつけたのは、泥の塊が意思を持ったようなモノノケの背中だ。液体とも個体とも判別のつかない気味の悪い感触が、雨靴の底からでも伝わってくる。

「……ぁう」

 顔をしかめながら、エレンはモノノケの背中に剣を突き立てる。

 ずぶり、と体に飲み込まれていく刃は、モノノケを傷つけているかどうかすら怪しい。しかし、痛みに身をよじらせ、めちゃくちゃに手足を暴れさせるモノノケの反応は、剣による刺突が有効であることを如実に示している。

 エレンは背後から襲い来る横薙ぎの尾を前方への跳躍で回避。

 その間、剣の刃をモノノケの体から抜くことはない。

 切り開かれた背中から泥水をまき散らし、モノノケはさらに暴れまわる。エレンはほとんど剣にしがみつくような姿勢で、自らの足へ目をやった。

 残った翼は一対。

 歯を噛みしめながら、エレンは前方へと視線を戻す。

 足場は悪いが、次のジャンプで勝負をつけなければならない。

 スキルの効果が切れ、なすすべもなくモノノケの体から放り投げられれば──地面への衝突、さらにはモノノケからの追撃を受けることになる。しかも、思い通りに動かない体で。

 エレンの顔は濡れ、レインコートが防ぎきれなかった雨粒と、にじみ出る汗の区別もつかない。

 額を流れる水滴も拭わず、エレンはモノノケの平たい後頭部を睨みつけて自問する。

 いけるか?

 ──いける。

 やれるか?

 ──やれる。

 否。

 ──やる!

 覚悟を決め、エレンは最後の跳躍へと踏み込んだ。

 弾力のある泥に足をとられるような感覚に耐え、モノノケの背中を蹴る。

 最後の翼が粒子となって消え、突き立てたサーベルはさらにモノノケの体を切り開く。

 背中の半ばから始まり、一直線にモノノケの頭部へ。

 サーベルの青い刀身が急所に至ったところで、エレンは剣を抜き、モノノケの鼻先へ着地。

 その背後で、モノノケの体からずるりと力が抜けていく。

 体を支える手足が曲がり、腹が地面につくだけではなく──モノノケの形を作っていた泥水の一滴一滴が力を失っていくように、オオサンショウウオの形が崩れていく。

 レインコートのポケットから、単調な機械音声。


『モノノケ討伐を確認しました。帰投後、シティ・ギルド〈レイニー・デイ〉よりクエスト報酬が支払われます』


「…………はぁ」

 息をついて、エレンはポケットに手を突っ込み、携帯端末を取り出して操作。

 右手からはサーベルが消え、代わりに紫色のフィルムが巻かれた棒付き飴が現れる。

 アイテム名は、「特製濃密ブドウキャンディ」。

 もちろん、既に効果が出ている「中吉」程度のステータス上昇に上書きされることなどないのだが、

「もう、おやつ食べないとやってられない」

 フィルムを乱暴に剥がしたエレンは、飴をくわえながら雨津(あまづ)の町を歩く。

 灰色の空は、まだまだ雨を降らせ続けるつもりらしかった。