第一章 日常茶飯/街の風景

 あの拳がもしも自分に向けられたら。小規模ながら地震をも巻き起こした腕力で捉えられたら。

 カツーン、と一際大きく音が響いて足音が停止。

 背筋を悪寒が覆い尽くした。咄嗟に目を伏せる猛。

 しかし、いつまで経っても衝撃は飛んでこなかった。その代わりと言っては難だが、

「大丈夫かい? 少年。歯が抜けTELぞ?」

 今の今まで傍若無人極まりない立ち回りをしていた人物から放たれたとは考えられないほど柔らかな声が、猛の聴覚を刺激した。

「…………………………へ?」

 たっぷり十秒ほどの沈黙を置き、間抜けな声を吐き出す猛。ぱちくりと目を瞬かせてガチリと動作を停止する。

「いや、へじゃなくて歯。分かる? オーケー? アンダスタン?」

 そしてそんな猛を覗き込むようにして見下ろし、手を差し出す金髪男。

 ――…………掴め、って意味だよね……?

 一瞬思案した猛であったが、常時逃げ腰命令を下している脳に、先程の鬼神の如き姿がフラッシュバックした。

 ――いやいやいやいやいやいやいや! 投げ飛ばされるよね!?

 凄まじい妄想が脳内を駆けめぐる。あんなトンデモ映像を見せ付けられた後だ。仕方ないと言ってしまえばそれまでである。

 ――でも、掴まなかった事で機嫌を悪くされたらどうしよう……?

 飽くなきまでの逃げ腰精神。ネガティブにも程がある。

 ただ、これが桐島猛という人間を構成する心の在り方なのである。

 アフター*ダークはプレイヤーの精神をそのまま電脳世界へ投影するゲーム。電脳世界での思考は現実世界と何ら変わりは無い。つまり猛は現実世界でも逃げ腰なのだ。