昼休憩の消失

「アルバイト?」

 何言ってんだコイツ、という意思を可能な限り込めた声は、自分で思ったよりも相手をバカにした響きを持っていた。

 真夏の昼時。となれば暑さで頭がおかしくなっているのも無理はない。記録的猛暑は毎年のように唱えられているし、どれだけ注意を促されても熱中症で死ぬ人間はゼロにならないのだ。

 つまり、目の前のクラスメイト改め少し頭の弱いバカは、暑さに当てられて少々おバカなことを言ってしまった夏の被害者であると信じたい。信じてもいいよね。

「いやー、ほら、さっき募集のチラシあったじゃん。いま金ねぇし、いいんじゃねーかなーって!」

 信じたかった。

 ちなみに、「さっき」というのはおそらく昼食の買い出しに利用したファーストフード店でのことを指していて、確かに手作り臭のするバイト募集チラシも目に入った。

 しかして現実問題、俺の通う高校はバイト禁止というよくわからない校則がある。我が家からも高校からも徒歩五分で辿りつくような場所でバイトなんかしてみたら、反省文イベントかトイレ掃除イベントか、あるいは夏休み中に特別講習なんて開かれてしまうかもしれない。

 巻き込まれたくはない。そもそも、今日の「夏休みの宿題を手伝う」というイベントも渋々付き合っているだけなのだ。誰が好き好んで自分の部屋で男二人フライドポテトをつまみながら課題に向かうだろうか。僕だって本当はやりたくない。

 ただ、誰かがいないとどうしてもサボってしまう性質だから、自分を引き締めるためだけに置いているのだ。他意なんてない。

「寝言は熱中症でぶっ倒れてから言えよ」

「それお前ヘタしたら死ぬやつ!」

 ここは、熱中症で死ぬことをこのバカが知っていたことを褒めるべきだろうか。

 炭酸飲料を喉に流し込み、ざっとアルバイトをした場合をシミュレートしてみる。そもそも、親にどう言い訳するか。遊びに行ってくる、で十分かもしれないが、徒歩五分で行けるとあって、家族もよく使う店である。見つかったらまぁアウトだろう。バイト自体には反対しないだろうが、校則違反には厳しいはずだ。

 高校からも徒歩五分なのだから、部活帰りの同校生徒が来る可能性も考えるべきだろう。それにくっついて顧問なんて来てしまったらそこで終了。よってアウト。

 夏休みの間も校舎に滞在している教師なんていうのも、もしかしたら利用してくるかもしれない。やはりアウト。

 時給八〇〇円とはいえ、このリスクの多さはなかなかキツい。

「なんでそんなにノリ気じゃないんだよー昼から夕方まで働けば一日でゲーム一本買えるんだぞー」

「宿題全然進んでないヤツが何言ってるんだよ……というか、校則は知ってるんだよな?」

「へ? なんのこと?」

「とぼけてるんだよな? それはとぼけてるんだよな?」

 頭に疑問符を浮かべるというか単純にアホ面しやがった。泣きたい。

「まさか……バイト禁止だとでもいうのか!」

「校則くらい把握しておけよ関係なくても!」

「でも大丈夫、絶対バレないから!」

「その根拠のない自信をどこか遠くに投げ捨ててくれ!」

 想像力の著しい欠如を疑うセリフを平然と吐いた。最初から最後まで説明しないといけないのだろうか。勘弁願いたい。

「ほら、変装すれば」

「悪かった。今までバカって言って悪かった。馬と鹿に失礼だった。お前はお前だ」

「なんか言葉だけ聞くと認めてくれてる感あるけどよく考えたらすごくけなされてる!」

「世界で一つだけのおめでたい思考回路の持ち主だと思うよ」

「それ絶対バカにしてるよな!」

「さっきも言った。バカにしたら馬と鹿に失礼だって」

「バカにしてる!」

 うわーん、と口で言いながら頭を抱えだした。そんな状態になりたいのはむしろこっちなのだが、人語を解さないならそれで好都合ではあるのかもしれない。よくわからない思考回路で言葉だけ通じてしまうと、混乱するのはこっちだ。

 奇声を発する謎の生物を生ぬるい目で見ていると、ふと重要なことを思い出した。

「ところで」

「うん?」

「お前ってさっきアイス買ってたよね?」

 紙コップにバニラアイス入ってるやつ、と付け足して言う前に、紙袋を乱雑に開ける音が聞こえてきた。いまいるのが冷房の効いている室内とはいえ、炎天下に五分間さらされていたアイスがさらに十分も持ちこたえられるわけがない。

 感情のこもった「うわーん」を聞きながら、僕は手をつけたばかりのテキストを取り出した。

 紙コップの中の惨状なんて見たくはなかった。