ホワイトデー必要論

 三月十四日・昼。卒業式終了後。

「いいスピーチだったな」

 遠慮とか容赦とか酌量とか慈悲とか、そういうものが一切ない言葉が俺の胸を貫いた。

 もちろん、内容だけを見ればなんの変哲もない褒め言葉か、あるいはただの社交辞令ともとれる。しかし現在、俺にとって褒め言葉は罵倒であり、社交辞令は嘲笑と同義である。

 少なくとも、「いいスピーチ」ではなかった。

 平たく言えば、それはすでに黒歴史だった。

「水無瀬の名前は未来永劫この学校に受け継がれていくんじゃないのか、あのスピーチと共に」

「次の日には忘れられてると願いたいですまじで」

「……願望を抱くのは個人の自由だが、あまりにも非現実的だとあとがつらいぞ」

 我らが元・生徒会長のお言葉は、俺に現実逃避すら許してくれなかった。

 というか、よくよく考えてみれば、卒業生のスピーチ(しかも出来の悪い)が受け継がれていくようなことなんてありえないような気がする。

 どうあっても俺に精神攻撃をしたいんだろうか。

 ──とはいえ、今日の黒歴史の原因は、極論すると俺の口の軽さというか、言ってはいけないことをさらりと言ってしまったことにある。そう考えると完全に自分の責任で、一瞬の気の迷いというか気の緩みによって発生した事故の結果だ。それも、今年の抱負を「発言するときはよく考えてから」にしてもいいくらいの大事故の結果である。

 成長を伴わない黒歴史に意味はない。

 ということで沈黙を保ってみたのだが、

「それにしても、何をしたらあんなことになるんだ? いくら書紀とはいえ、無茶な注文をつけることはあまりなかっただろ?」

 そんな賢明な判断すら許されなかった。

「お前は! いま! 触れてはいけない部分に触れようとしている!」

「……そうだな」

「ヒトゴトのように肯定すんな!」

 正しいと思っていた判断は無効化され、精一杯の抵抗は受け流される。物理的に逃げることは可能だが、そんなあからさまに怪しい挙動をとった結果、後から元・書紀様にどやされることを考えるとなんだか恐ろしい。

 かと言って正直に「書紀様は生徒会長からのアプローチが欲しいんですね分かります。的なことをバレンタインデーの日に言ってしまいました」なんて説明すると、むしろ二人を敵に回すことになるわけで。

 しかも運悪く、今日はホワイトデーなわけで。

 女子力というか乙女力を全開にした書紀様は、式典が始まる前からなぜかそわそわしていたわけで。

 それはもう、元々他人に言えるようなことではなかったのに、さらに言いづらくなっている状況なのである。たとえ黒歴史がなかったとしても口を閉ざすレベルの。

 目の前の人物が、沈黙した俺を思いやってくれるような性格をしているとは思えないのだが──現実、たとえ限りなくゼロに近い確率であったとしても「話題を変えてくれる」という可能性に賭けるしかない。

「お前が黙りこむのも珍しいな」

 長く続いた沈黙を訝しんだのか。元・会長は首を傾げて続ける。

「よほどヤバいことでもやらかしたか?」

「……まぁ、ヤバいというかなんというか」

「ケーサツにだったら連れていってやるが」

「法律に関わってくるような『ヤバい』ではない! というか、なにその冷たい目」

「同級からこんなに早く犯罪者が出るとは思わなくてな」

「話聞けよ!」

 このままだとどんな方向に転んでも怪我しかしないような気がする。主に俺が。

 だいたい、俺が精神的な怪我を負う理由はないはずだ。元・会長と元・書紀がおとなしく素直にリア充になってしまえばいい話で、そうなれば俺の高校生活最後の爆弾発言も「いい思い出」程度の威力になる。

 つまるところ「お前らはやく付き合っちゃえよ」状態なのだが──そんなことを言ってしまえば精神的にボコされるのは目に見えてしまうというのが恐ろしいところで。

 なんとか遠回しに伝えることは出来ないものだろうか。

「……あー……ソンナコトヨリサー」

「おい、ごまかすつもりはあるのか?」

「あんまりな……なんでもないですごめんなさい聞いてください」

 無言で携帯電話の一一〇番をプッシュされた。なんとか電源ボタンを押しこんで変な警察沙汰になることは回避したが、一歩間違えればただの公務執行妨害になりそうなことをさらりとやってしまうのはどうかと思います会長。

 寄せられた眉の下、嫌そうに続きを促す視線が痛い。

「今日ってホワイトデーじゃないデスカー」

「…………それが?」

「いや『それが?』じゃなくて。書紀さんにはなにもないのか?」

 寄っていた眉の片方が上がった。困惑というか、怪訝というか、理解不能というか、ともかく疑問符が浮かぶ表情だけを返された。

 もっと詳しく、とでも言っているのだろうか。鬼か。

「ほら、もう卒業だし。いろいろハッキリさせた方がいいんじゃねぇのっていう話」

「……なるほど?」

 向けられる視線が少しだけ和らいだ。が、なぜだか猛烈に嫌な予感がする。

 俺は何かを忘れているんじゃないだろうか。いや、問題はないはずだ。近くに書紀様がいないことは確認済み。それどころか、他の生徒たちだって離れたところにて各自談笑中で、こっちの会話に気を向けているようなやつなんて誰もいない。

 だがしかし、嫌な予感は確信に変わった。元・会長の口元に笑みが浮かんだ瞬間、なんというか本能的に、自分がなにかを間違えたということだけを理解した。

 自爆したかもしれない。

「バレンタインの日に書紀の愚痴でも聞いて、その答えだかなんだかでマズったとか、そういう理由であんな無茶を言われたのか。お前も苦労するな」

「……なーんで話が戻ってしまったんでショウカー」

「不自然な話の切り出しがホワイトデーなのに、バレンタインの話にならなかっただろ。書紀が何を言ったのかは知らないが、切り出された話題を見るに、大方──」

「わぁああああああああああああ! なに真相に至ろうとしてんのお前ぇええええええ!」

 自爆した。

 この一ヶ月で二回も爆発した……リア充じゃないのに……!

 とか嘆いても後の祭り。後悔先に立たず。自分の軽率さというか、相手の悪さを恨むしかないが、それだって慰めにしかならない。むしろ慰めにすらならない。

「つうか、お前はその読心的な能力をもう少し書紀さんに対して使えよ! そうすれば俺の苦労が減るんだよ!」

「こう言ったらアレかもしれないが、頭の悪い人間の方が読みやすいからな」

「いっそストレートにバカって言ってくれ」

「……そういう趣味の人間だったか?」

「そういう意味じゃない」

 マゾヒストだったら俺だってもう少し気が楽だったわ。

 なりたいとは思わないが。

「まぁ……水無瀬がマゾヒストだろうとなかろうとどうでもいい」

「あのな」

「問題は、お前が読まれやすい人間──ようするにバカで、さらに書紀の愚痴まで聞いていて、そのうえ僕にホワイトデーだとかそういう話を振ってきたことだ」

「おい今さらりと酷いこと……うん?」

 なんだかおかしい。

 バレンタインデーの真相に至るという点に関して、俺が読みやすい人間だということは、会長にとって利点でしかない。

 自分で言うのもなんだが、俺はどうやら一つのことを気にするあまり、別のところでボロを出しやすいらしい。軽い誘導尋問のようなことをされてしまえば、あっさり口を割ってしまうというか、口が滑ってしまうと思われる。

 だがしかし、利点であるはずのそれを、会長は問題と称した。それどころか、書紀の愚痴を俺が聞いていることやら、会長にホワイトデーの話を振ったことまで。

「僕だって、あいつの性質というか、性格ならよく理解しているつもりだ。冷静沈着を気取っていながら趣味嗜好が乙女全開なのは、お前も分かっているだろう」

「ノロケですか?」

「ホンモノのマゾヒストなのか?」

「ごめんなさい」

 照れ隠しに「精神的にボコるぞ」発言しないでください。

 冗談に聞こえない。

「ともかく……卒業式とホワイトデーが重なって、さらにバレンタインにはバカに愚痴を言うくらいにはフラストレーションが溜まっているわけだ」

「……えーと、これって俺聞いて大丈夫なのかな? ねぇ。あとで痛い目にあうとかそういうのないよね?」

「うまくやれ。バラさなければ問題はない」

 読みやすいとかバカとか好き勝手言っておきながら、うまくやれば隠し通せるとでも思っているのだろうか。

 会長の口から直接聞いたわけではないが、何をしようとしているのかは大体分かる。卒業式とホワイトデー。トモダチ以上コイビト未満。フラストレーション。乙女気質。これだけの言葉が並んでいて──さらには会長が、ドッキリだかサプライズだかを仕掛ける人間特有の、何かを企んでいる顔をしていれば。

「付き合えよ、水無瀬。高校最後の大怪我、なかったことにはできないが、軽傷にはできるかもしれないぞ?」

 ホワイトデーは、「相手の好意に返事をする日」。

 書紀様のアピールに対して会長が返事をするというのなら、それを見逃す理由はなかった。