好奇心は猫をも生かす。

 百地闘也(ももち とうや)を動かしているものは、強い好奇心だった。

 学校の授業、図書館の書籍、友達の噂話、すれ違う人々の会話の内容──情報源の例をあげれば、それこそ相手に不快感を抱かせるようなものが多い。

 そんなことは闘也自身も理解しているし、知りたいことを知るためには嫌われない方がいいことだって分かっている。学校の授業が退屈だという同級生に頷き、噂好きを装って情報を集める──より多くのことを知るためなら、自らを偽るくらいは苦ではなかった。

 全ての人間が情報源になりうる中で、本心を語ることができる相手は極々限られている。当然中心となるのは家族で、その中でも闘也の父・永一は性質を理解した上で書斎を開放してくれる、数少ない「理解のある大人」だった。

 ──なのに、これだもんなぁ。

 闘也は永一の顔を見下ろして心中で呟く。

 和室にぽつんと敷かれた布団に、ここ数日で一気に痩せた永一が眠っていた。重度の肺ガンに侵されていた永一は、宣告された余命が一ヶ月になったころに自宅療養を申し出た。それほど効力のない延命治療のために入院するよりも、住み慣れた我が家で死にたい、と。

 誰に何を言われようと、堂々と享楽的に生きてきた永一の姿を見続けてきた闘也からすれば、その言葉は新鮮というよりは奇妙だった。永一が自宅に執着しているとは思えなかったし、家族を大切に思っているようなそぶりも見せていなかったように思う。何より、永一が自宅療養を始めてから彼の周囲にいたのは闘也と女秘書の沢村だけだった。

 理由ならば容易に察することができる。一人の妻と三人の浮気相手、十人の子供がいながら、仕事と趣味を優先するような男だ。家族から嫌われる要素はあれど、好かれる道理はどこにもない。

 この男でも、悲しい最期を迎えるのだろうか。

 わずかばかりの好奇心が闘也に芽生えかけたとき、永一がうっすらと目を開けた。

 視線に、かつての力強さはない。焦点のぶれた瞳が闘也を捉え、「おお」と乾いた声を発する。その姿は、悲しいほどに弱った老人そのものだった。何をすることもできず、ただ死ぬまでの猶予を生きるだけの、空白の期間を永一は生きていた。

 だというのに。

「お前以外……誰も、いないな?」

 声には切羽詰まった意志がこめられていた。闘也は誰もいない和室を思わず見回して、永一に頷いて答える。

 すると、永一は細く長く安堵のため息を吐き出して──死の淵をさまよっていながら、ゆっくりと上半身を起こした。

「おい、親父……」

「闘也。お前には継がせねばならないものがある」

 元々大柄であった永一は、普通に座ったとしても正座の闘也とさほど変わらない位置に顔がくる。まっすぐに告げられる遺言に、闘也はわずかに息を詰まらせた。

 体は死にかけの老人だというのに、その中身、性質は畏怖の対象ともなる父のままだった。

「そんなの、遺書に書けばいいだろ」

「遺書には書けないものを継がせると言っているんだ」

 苦し紛れに返した言葉には、カウンターのような決意が叩きつけられる。

 ことの重要さを悟って口をつぐむ闘也に対し、永一は口調をゆるめることなく続けて言った。

「お前の兄や姉が、どうしてそろって家を出て姓を捨てたか知っているか」

「……なんか、ヤバいもんがあるんだろ。書斎あさってもそのくらいしか分からなかったけど」

「それでもお前は儂から逃げなかったな」

 乾いた唇がわずかに笑むのを見て、闘也はまたなにも言えなくなる。

 永一は数度咳払いをして、

「闘也。お前の好奇心が尽きないならば、百地を背負うこともできよう。たとえ深い穴があったとしても、その深淵を覗いてみようとするお前にならば。お前の好奇心はお前を生かす──『ヤバいもん』を聞かないという歯止めも、どうやらできるようだしな」

 さきほどまでの憔悴しきった姿からは想像できないほどに、はっきりとした口調だった。

 闘也に言葉を尽くすためだけに、残った命を燃やしているようだった。

 永一は、ひときわ深く呼吸をすると、さらに声を低くして告げた。

「百地闘也。お前に百地通運の経営権とともに、伊賀流百地家の当主を継承する」

 闘也の背に、鋭い冷たさが走る。それが、大きな謎を見つけたときの喜びの感情なのか、暗闇の中に取り残されたときの恐怖の感情なのか、闘也には判断がつかない。

 永一の言葉に嘘がないことも分かる。かつて、書斎で見た怪しげな文書の数々──違法薬物や銃の部品の密輸ルートと、それに付随したいくつもの顔写真。そして、写真に刻まれた赤いバツ印を見たあとであれば、むしろ彼の言葉は闘也自身が鼻で笑ったくだらない予想を裏付けるものとなった。

 百地通運のツテで密輸ルートを探し、違法取引を行う商人やテロリストを排除する暗殺者。

 それが、百地家の裏の顔だった。

 ただ、逃げようとは思わなかった。たとえ永一の末の子だとしても、いまだ高校に在籍している未成年だったとしても、逃げることが許されるとは思えなかった。

 知ってしまったから──ではなく、永一の視線に、まっすぐ射抜かれてしまったからだ。

「俺は……」

「通運の方は沢村が補助をする。伊賀流としての百地を背負うにふさわしくなるまで、儂が生きていられればよかったのだが──それももう叶わないだろう。代わりに、長きに渡り百地を支えてきた女に、お前をまかせる」

 言うと、永一は人差し指で畳を二度叩いた。

 同時、音もなくふすまが開かれる。突然のことに身構えかけた闘也だったが、その奥にいた人物に目を奪われて動きが止まった。

 肩で切り揃えられた白髪を持つ少女が、開いたふすまの向こう側にいた。伏せられたまぶたからは瞳を窺い見ることはできず、少女は一切の色素を抜かれているかのように白い。

 ただ、まとった着物の色だけが、冴えわたる冷たい青だった。

「お呼びにあずかりまして、ただいま参上いたしました」

 少女の声は硬い。感情を表に出さず坦々と告げる少女に、永一は軽く手を振る。

「ネネ、儂の生きている間に挨拶をすませてくれ」

「……は」

 ネネと呼ばれた少女が伏せていた目を上げて、闘也はもう一度動きを止めた。

 真白の顔の中で、青と金の瞳が輝いている。その色に、闘也はどこかで見たオッドアイの白猫を思い出した。金目銀目とも言われる縁起物の猫は、しかし銀目……青い方の目に視覚障害があるという。

 と、記憶を掘り返している内も、ネネは平坦な声を発していた。

「わたくしは猫又として千年余りのときを生き、六百余年のときを『ネネ』として百地の御家に仕えております。闘也さま、このたびは──」

 当然のように繰り出される言葉の連なりは、異様で異常。一般常識で考えれば──否、一般常識に縛られていれば理解を放棄しかねない内容が、光彩異常の白猫を思わせる少女から紡がれる。

 全てを理解することはできなかった。受け止めきることなど不可能だった。

 けれど、闘也は「知りたい」と思ってしまった。百地の裏を。ネネという少女の裏を。

「猫又の不老不死、百地の技術をもって、わたくしは本日より闘也さまの刃となります」

 この日。闘也は、暗闇に閉ざされた穴の深淵を見るためにその身を投げた。

 裏の深さを知らずに。