聖職者は血の海で嗤う。

「神サマほど身勝手なやつはそうそういないとは思うが、その身勝手さについていけねぇっつって、神サマ信じてるやつらをボコすのは、それはそれで身勝手だと思うんだよ、俺は」


 セシルの背後から、青年の声が飛んできた。

 杭を斜めに刺しただけの簡単なバリゲードに背を預け、セシルは両手で口を覆って、可能な限り音を出さないようにと縮こまる。

「その上、『ボコされたくなければ神サマ捨ててこっちの神敬え』なんてナメたこと言いやがったんだ。こうなっても文句は言えねぇよなぁ? ん?」

 続く青年の言葉に答える勇気など、今のセシルにはなかった。

 走ってこの場から逃げ出したい衝動を押し殺すことで精一杯。息をひそめ、可能な限り青年から身を隠すことしか、できない。

──もう少しだ。

──もう少し耐えれば、本隊が……!

 もはや祈りに近い願望を口の中で唱える。

 耳からも、目からも、鼻からも飛びこんでくる絶望的な現状の情報──その全てを断つことなど不可能だった。

 耳を塞いでも、青年の声はするりと掌を通りすぎてセシルを毒す。

 目を閉じても、真っ赤に染まった自陣はまぶたの裏に焼きついて離れない。

 口を押さえていれば、鼻を塞ぐことはできず……濃密な血の匂いが鼻腔内を満たし続けている。

 セシルの周囲に広がっているのは、戦場とは言えない風景だった。

 対等な戦いが行われたとは、思えない光景だった。

「おい。なぁ。誰もいねぇのかよ? んん? そうは思えないんだけどなぁ」

 虐殺の跡──血の海。

 折り重なる死体は、全てセシルの属している軍の構成員だった。

 ここは、神教国への侵攻の、足がかりとなるはずだった重要拠点──だった場所。

 セシルを含めた数百の兵が常駐し、戦いの準備も怠らずに備えていたのだが、そこに『ふらり』と現れた青年が、全てをぶち壊して血の海を作りあげたのだ。


 たったひとりで。


 セシルは思い出す。

 青年の容貌を。

 バリゲードの向こう側で本隊の到着を待つ、狂戦士の姿を──


 対・神教国の拠点に近づいてきたのは、ゆったりとした白い衣をまとった、金髪の青年司祭だった。

 狂気的、なんて雰囲気は微塵も感じさせない。むしろ気弱で物静かで優男な雰囲気を放つ、なんの変哲もない、神教国であればどこにでもいるような、ありふれた青年司祭と言えた。

 教会に常駐する司祭であれば、都市から出ることなどほとんどない。聖職者の証でもある祭服を着てはいるものの、その表面には汚れが目立ち、裾は擦り切れていた。

 杖のように持った槍を見るに、敵陣まで迷い込んだ従軍司祭か、あるいは巡礼中なのか。

 どちらにしろ、神教国の「神を語って人々を支配する」体制に反抗していたセシルたちが、見逃していい相手ではなかった。


 なかったのだが──むしろ見逃してもらうべきはこちら側だった。


「さっきまであんなに威勢よかったのによぉ、縮こまって隠れたまんまだんまりかよオイ。本隊来るまで暇つぶしにカクレンボでもするかぁあ?」


 背後から青年の問い。

 同時、バリゲードを突き抜けて飛来した槍が、セシルの肩を掠めて死体を貫き地面に突き刺さる。

 衝撃で震える槍を茫然と眺めながら、セシルは背後でバリゲードの崩れる音を聞いた。

 凶悪に口の両端を吊り上げる青年司祭すら、幻視する。

「見ぃいいいいつぅううけたぁあああああああああああああああああああ!!」

 青年司祭の咆哮。

 ぎこちなく振り向いたセシルの視線の先、青年司祭は真っ赤に染まった祭服姿で高笑う。

 血の海に響き渡る笑い声の後ろ、本隊の放つ角笛の音が聞こえてきたが──

 セシルが安堵するよりもはやく、彼の首を青年司祭の手が掴み、


「祈る時間なんて要らねぇよなぁ異教徒サマよぉおおおおおおおお!!」


 血の海はまた、深さを増した。