FLOWER’S 切望ガーベラ

 最近できたばかりの新築分譲住宅、MIZUDORIマンション一階。フロントフロア片隅のテナントにそれはある。木製テーブル三台、椅子六脚。狭いカウンターからほのかに漂ってくる芳ばしい香り。

 いわゆるカフェ。

「おまたせ。コーヒーでよかったよね?」

 言いながら、店長の佐久良澪(さくらみお)さんはカップをテーブルに置いた。

 佐久良澪。清潔感のある白いシャツと、シンプルな黒いエプロンが凄まじく似合うお姉さんだ。彼女が淹れてくれる一杯で、私の朝は始まる。

「砂糖は……いらなかったんだっけ?」

 シュガースティックを持って小首をかしげる澪さんに、私は言う。

「うん。ブラック」

「そう」

 ああ、朝のメニュー作ってみたんだけど、試していかない? と澪さんに勧められたが、残念ながら私は、朝食はしっかり自宅で食べる派なので、申し訳ない限りではあるがここでは丁重にお断りさせていただいた。

 参考までにメニューを聞くと、BLTサンドとスクランブルエッグとコーヒーのセットだった。

 私の朝は、澪さんが淹れてくれるコーヒーで始まる。

 なんて言いながら自宅で朝食を摂っているあたり、いやいやそれなら朝は普通に自宅で始まっているじゃないかということになりそうな感じはするが、しかしぼんやり眼の霞が取れるのは、澪さんのカフェでいただくコーヒーを飲み下してからなのだ。

 このカフェが、もといこのマンションが完成するまではコンビニのコーヒーで一息入れていたのだけれど、やはり、店で淹れるコーヒーは味わいが全く違うもので、私はこのマンションに越してきてから向こう一カ月、コンビニのコーヒーが飲めない身体になってしまった。

「ふふ、通なこと言うのね」

 と、澪さんはトレイを後ろ手に笑う。

「まあ、でも、制服にこぼさないようにね」

 注意を促され、私は制服のリボンを触った。

 白いリボン。

「紫音ちゃんも二年生だもんね。新しいリボンが汚れたら、みっともないぞ」

 私はリボンを手で押さえながらコーヒーを一口飲む。

 酸味が口の中に広がり、後からじんわりと苦みがやって来る。

 目が覚める。目が冴える。

 ──だけど心は重苦しい。

 思わずして表情を曇らせてしまったのか、私の顔を見ていた澪さんが不安そうに尋ねる。

「……美味しくなかった?」

「いや、美味しいですよ。うん」

 言ってしまえば、そんじょそこらのチェーン店よりも遥かに美味しい。逆に、たとえ不味かったとしよう。不味かったとしても──ってそんな話じゃなくって。

 それを察したように澪さんは言った。

「ああ……昨日の話ね」

 昨日。

 四月一日。

 エイプリールフール。

 嘘をつく日の話。

 私が通う私立明桜高校は、四月八日から新学年・新学期が始まる。

 それまでは春休み。昨日、四月一日においても洩れなく春休みなわけなのだけれど、しかし私は先生たちからの評価があまり思わしくないので、補習で学校に行っていた。

 まあ、補習といっても春休み当初から計画されていたカリキュラムの九割は終わっていたので(しかも四月一日担当の先生が風邪を引いて休んだ)、じゃあ入学式の準備でも手伝ってくれということになり、人海戦術の頭数にされていたのだった。

 その時の話である。

 入学式の準備も終わり、あとは体育館の鍵を閉めて作業は完了という時のことだった。

 体育館の戸締りの一切を任された私は(評価が思わしくないのに何でこんなことを任せる? 怠慢じゃないか)、ステージ上を誰かが歩いているのを見た。

 紺色のスーツにドット柄のネクタイ。

 前髪を流した韓流風の優男。

 その風貌で、ステージ上にいるのが誰なのかすぐに分かる。

 上遠野真太郎(かとうのしんたろう)。

 四月一日、私の補習を担当するはずだった教師。そして風邪を引いて休んでいるはずの教師、その人だった。