ダック・アップル

 頬を撫でる風が生温い。

 温暖化の影響か、はたまた肥大化しすぎたコンクリートジャングルのせいなのか。定かではないが、九月初頭より尾を引いている夏の残滓はいまだ健在で、十月も末だというのに湿っぽい空気を孕んだ夜風が妙に煩わしい。

 それでも、道行く人々の格好は暦通りで。日付通りで。

 幽霊や魔女、ドラキュラやフランケンシュタインの仮装をした人が列を成し、街の大通りを練り歩く。道脇に立ち並んだ店の軒先に吊り下げられたジャックランタンがオレンジ色を淡く灯す。

 十月三十一日。

 つまりは、ハロウィンだった。

 死者の祭り。

 収穫祭。

 呼び名や意味は様々だが、日本におけるハロウィンは仮装パーティを主とした単純な行事でしかない。────というのはあくまで表面上の話。楽しいパーティの裏で何が起きているのか、それを知っている人間は少ない。


『──O・K 《黒林檎》を捕捉。五条通りを通過しました』

 ケータイ越しに届く業務的な声を聞き、男はビルの頂上から街を見下ろして視線を右に走らせる。

 視界に飛び込んでくるのは巨大なジャックランタンのバルーンで装飾された街の一角。格子状に区切られた街の中でも主に商業施設が軒を並べる区画だ。

 夜闇の中で標的を捉えたのか、男の動きが止まる。

「ステージは?」

 端的な問いに対する返答は早い。

『4(死霊)です』

「そこそこ、って感じね」

『安易な考えは危険です。今回の《黒林檎》のデータを送りますので必ず確認してください。そもそも黒野、あなたはですね、もう少しダッカーとしての自覚を』

「へいへい、わーったよ」

 また始まった。もううんざりなんだよ。といった様子で男はため息交じりに首を横に振る。

 十月三十一日。ハロウィン。

 表面上はイベントとして楽しまれる行事なのだが、その裏面というか、本質、核心というのは別にある。

「それにしても、なんか今年は多くねえか? 霊の数が」

『周期に入った証拠です。鬼門(ゲート)の亀裂が拡大しているのは知っていますよね?』

 鬼門というものがある。

 この世とあの世を繋ぐトンネル。

「そっから出てくる《この世に存在してはならない者》を摘み取るのが俺たちの仕事。だろ?」

 わーってるんだよ。と男は続けて嘆息した。

 そして本日十月三十一日(ハロウィン)は、トンネルの継ぎ目が最も肥大化する日。防人たる黒野の仕事も当然ながら増えるというわけなのだった。

 いや。防人、というのも些か語弊がある。なぜなら彼は──

『ぐずぐずしていると逃げられます。黒野。準備はよろしいですか?』

 言われて黒野はビルの淵に上がって黒いコートのフードを被る。

 それと共に双眸が赤銅色に変化。瞳孔が引き絞られ、縦長のアーモンド形に変わった。

 よく視える。

 星の位置が。暗夜の街が。人流が。

「誰にもの言ってんだよバカヤロー。不死の王様なめんなよコノヤロー」

『はい。では成功を祈ります』

 直後に切れる通話。

 虚空に向かって跳躍した吸血鬼の残影が、ビルの端に映った。