詠唱・氷結

 右脇腹に叩き付けられた衝撃が身体を突き抜け、左の虚空を震わせ揺らす。

 くの字に折れ曲がった身体がふわりと浮き、次の瞬間には弾き飛ばされていた。

 ノーバウンドで十数メートルもの距離を飛んだあと二転三転し、岩壁に激突。頑強なそれに蜘蛛の巣のような亀裂が走った。

 肺に溜まった空気と血が一気に押し出される。

 肋骨を、持って行かれた。

 ウェルズは、地面に向かって倒れながらそう思った。

 しかし、悠長に倒れている暇はない。四つん這いの状態で身体を起こし、よろめいて覚束ない脚を無理やり押さえつけてようやく立ち上がる。

 見れば、身に着けた鎧の右脇腹が穿たれていた。

 ──冗談じゃねえ……。

 纏った銀の鎧。それは、精霊の加護を受けた魔法の一品。ちょっとやそっとのダメージで破損する事はまずない。

 だがその鎧は穿たれ、それでも殺すことのできなかった衝撃が身体を貫いている。

 ──これが主の力かよ。

 ウェルズは血唾を吐き出して前を見据える。視線の先には、一つの巨影があった。

 岩に覆われた蜥蜴の頭。携えた赤黒い邪爪で大地を踏みしめ。大きく広げた蝙蝠の大翼には、空を飛ぶ力はない。

 岩竜アグニ。

 それが、コルモドラ洞穴に潜む竜族の長の名だった。

 愚鈍そうな外見からは想像もつかない雷鳴のような甲高い岩竜の咆哮が、洞穴内を震撼させる。

 予備動作。

 先に喰らった強襲の一撃。岩竜が尻尾の一振りを繰り出してきたのは、咆哮の直後だった。

 ならば今度は。

 分かっているのなら躱しようもある。ただ、──この状態で避け切れるか。

 一瞬の迷いが生まれたその瞬間、岩竜は動いた。

 轟! と風が吹き抜け、岩竜は愚鈍そうな外見からは想像もつかないような速度でウェルズとの距離を詰めた。岩石が張り付いたハンマーのような尻尾が旋回。

 ──回避。──駄目だ、防御。──間に。

 迫る一撃。直感的に間に合わないと悟ったウェルズは目を、

 唐突に、鈍い金属音が鳴り響いた。

 ハッとなって目を剥くウェルズ。

 眼前にいる重鎧をまとった大男が、岩竜の一撃を受け止めていた。

「──エイダ! 治癒魔術を!」

 重鎧の大男は盾で岩竜の一撃を抑えながら後方に声を飛ばす。

 直後、ウェルズは身体を支配していた痛覚が薄れていくのを感じた。脇腹の傷が癒えている。後ろを振り返ると、ローブを着こんだ黒髪の女の姿が。

 女は次ぐように、詠うように、流れるように言葉を連ねる。

 回復から攻撃に転じたのだとすぐに分かった。それが同呪文を複数同時に操る重複詠唱だということもすぐに分かった。そしてそれが、重複火炎弾による弾幕を発生させる攻撃だということも、ウェルズは分かっていた。

 殺到する火炎の弾幕が直撃。光の尾を引きながら連続して炸裂する紅蓮に焼かれ、岩竜はたたらを踏んで後ずさる。

 詠唱を終了した黒髪の女がこちらを見て頷いた。

「決めなさい。魔法剣士さん」

 ウェルズは落ちていた剣を拾い上げ、

「──痛みを分かて。一つではない。それは役を焦し、時に凍てつく感情で青を燃やす。朱に交わらば朱になりて馴果てて、しかしそれでも灼熱を望むのならば。碓氷を灯せ。冷徹に興じろ。凍てつく炎はなによりも燃え盛る!」

 今持ちうるすべての魔力を練り上げて詠う。


「『魔狼殺しのフウロ・バイト』!」


 握りしめた剣を青い炎が取り巻き、巨大化。直後に氷結。十メートルは下らない長大な刀身を作り出していた。

「──とって置きを見せてやる」

 駆け出すウェルズ。

 視界の片隅で、重鎧の大男が小さく笑って頷いているのが見えた。