うみ

「いや。ですからね、私の個人的見解からすると、なんでテメーらが私を私物化してんだよバカヤロー。ということなんですね。ここまでおk?」

 全然おkじゃない。むしろ問題だらけだ。

 百歩譲って、お前個人を誰かが私物化するのは問題視されて然るべきだと僕は思う。個人とは一だ。それを私物化できるのは自分自身だけであり、他人が割り込んで保有してもいいものでは決してない。例えそれが親しい友人や家族であったとしても。

 ただ、前提がおかしい。

 僕の目の前にいる白いワンピース姿の女性の言動には、提起された問題以前に大問題がある。

「ああ喉が渇いてきやがりました。塩水をください。できれば死海の濃いぃやつを」

 その要求には答えかねる。

 そして頭が痛くなってきた。

 青みがかった髪は肩で切りそろえられ、下がった目じりには泣きぼくろ。白いワンピースに引けを取らないほど白い肌に病的なイメージはなく、むしろ神々しさを覚えるほどの美しさがある。

 自分で言っておきながらあれだが、神々しいとは言い得て妙だ。

 僕の目の前にいる女性、ウェンディ・シャカラカトリンティス・ポッセイドン十三世。

 ウェンディ曰く、彼女は海の化身──海神族の末裔なのだそうだ。



 で、その海神族様の末裔がなぜ僕の家にいるのか。その理由は彼女が握り締めた新聞の一面にざっくりと書き出されている。

 『原子炉の建屋から汚染水が流出』

 あの大震災から早いもので二年と四カ月が経とうとしていた。

 原子力発電所の所有者である大江戸電力(略して江戸電)は、昨日未明に震災直後における復旧作業全ての不手際を認め、資料の開示を始めたらしい。これまで拒否、秘匿を続けてきた江戸電がなぜ今になって? と疑問に思うが、ウェンディが主張したいのはそういう事ではなくて、

「いいですか? あのですね、あなたがた人間が、あなたがたが作り上げた社会でやんや騒ぐのはいいんですよ。どうでもいい事なんですよ。ただね、そのリスクが自然界に及ぶのだけは、やっちゃいけない事でしょうが。という話なんですよ」

 曰く、自然界に余波を撒き散らすのはルール違反だ。との事らしい。

「人間は自然のサイクルから抜け出しました。自己で生み出し、終わらせ、また生み出すというサイクルを、人間のコミュニティーの中に作り出しました」

 しかし、とウェンディは続ける。

「食物連鎖のサイクルから抜け出したはずなのに、でも人間は横からそのサイクルにちょっかいを出しています。」

 人間は捕食されない。

 だけれど魚や肉は食べる。

「まあ、今でも原初の生活を送っている人類はいるので一概にどうとは言えませんが、でもそれってすごく自分勝手ではないですか?」

 昨今、共生、という言葉が社会で飛び交っている。

 共生。複数種の生物が相互関係を持ちながら同所的に生活する現象。共に生きること。

 共生には種類がある。

 双方の生物種がこの関係で利益を得る場合と、片方のみが利益を得る場合、片方のみが害を被る場合。

 それでも、利害関係は可変的であったり観察困難だったりするから利害関係は考慮せず、複数の生物が相互関係を持ちながら同所的に生活している状態をすべて共生と呼ぶ事にはなっている。だけれどこれは、よくよく考えると人間の勝手な解釈だ。

 食用豚を育てる畜産家は、生きたいという豚の心理を知らない。

 害虫と呼ばれる生物の存在などそもそもない。

 平坦な道が欲しいから山を削る。海を埋める。

 なんて考えるとキリがないけど、じゃあお前は肉を喰わないのか、ゴキブリを殺さないのか、家から学校まで一山越えて通えるのか、なんて言われるかもしれないけど。

「ですからね、今回、私たちの海に汚染水が流れてきて水の民が苦しんでいるのですが、 それについてあなたがた人間は、外交問題に支障をきたすとか、あなたがたの利益に関する事程度にしか考えてないでしょう? 恐らく」

 ……そんなことは。

「だってそうでしょう? もし自然界を慮る気持ちがあるのなら、発電所の近くにいた被害者だろうがそうでない方だろうが、汚染水をなんとかしようと動くはずでしょう。それを人任せ人任せ人任せ。結局のところ打算的なんですよ、あなたがた人間という種族は。だから……あなたがたが尊んでいるのは命ではありません。存在です」

 ……その、通りだと思う。

 たとえばニュースでどこかの誰かが死んだ事を知っても別段なにも思わないように、気に留めてもその場だけで聞き流せるように、自分が関わっていること以外に対しての興味度は極端に希薄だ。

 今回の汚染水流出のことに関しても、僕たちはそこに住まう海の生物たちの事を想っていない。想っているというふうに見えるだけでその実、食糧確保の心配を、国交を、利害を心配しているだけだ。

「まあ、別にあなたがたにどうこうしていただきたいとか、やれとか、そう言った要求はしませんよ。だって私たち海神族は海の化身、自分の身ぐらい浄化する事は造作もありません。ですから究極的な話、いらないおせっかいなんですよ。……いったいあなた方は何様のおつもりですか? あなたがたはただの人間様なのですよ? 世界の理から外れてしまった土の民。それをゆめゆめ忘れないように」

 本当の被害者は誰なのか。

 それも恐らく、打算的で悲観的で楽観的な人間の思考では辿り着けない止揚なのだろうと思う。


 しかし、ウェンディはなぜ僕にこんな話をしにきたのだろう。

 もっと偉い人に説くべき内容だったと思うのだけれど……。

「それはですね、見える人と見えない人がいるんですよ。私の姿は」

 ほう?

 それは一体どういった?

「んー……なんと言いますか…………真っ新というか、初心というか…………えっと、まだ経験がない人じゃないと、というか」

 童貞だからと言いたいのならばハッキリ言えええええええええええええ!

 僕は別に全然恥ずかしくなんて無い! これっぽっちもだ!