第四章 国境の町


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 目を覚ますと、見慣れない天井があった。

 いつ寝てしまったのかも分からず、グレンは困惑する。直近の記憶は曖昧だ。

 ひとまず、頭を動かして周囲を見る。やはり見慣れない部屋だった。壁は見るからに頑丈な作りで、調度品も整っている。少なくとも、山の神殿や村の家屋とはかけ離れていた。

 いや──もうリヤンは滅んでしまったのだったか。

 黒々とした不安が湧きあがってきて、グレンは体を起こした。ぎしり、とベッドが軋んで、窓辺に座っていたクローディアが音に気付いて振り返る。

 櫛で整えていた世の果て色の髪が、ブラウスの背にはらりと広がった。

「グレン! よかったぁ、起きてくれて……」

 櫛を置いて笑顔で駆け寄ってくるクローディアは、安心感のせいかいつもより幼い表情に見えた。

 それでも、握られた手からグレンに流れ込んでくる水色の暖かさは変わらない。黒い不安は、いつの間にか押し流されて消えている。

「俺……どのくらい寝てた?」

「昨日の昼過ぎからずっと。覚えてる? アルミュールに、フリーデンが来たの」

 黒い軍服の、と続けたクローディアの口調は硬い。

 グレンの脳裏に瞬いたのは、軽薄な笑みを浮かべて死を撒き散らす、長い柄の得物を携えた男の姿。

 思わず腕に力が入るのを、クローディアが押さえつける。

「あ、いつ──!」

「大丈夫、もういないから」

 クローディアが平坦な口調で言ったのは、グレンを落ち着かせるためだろうか。

 荒く息をついたグレンは、自分の手に目を向ける。クローディアに握られた右手と、空いた左手。

 よく見てみれば、グレンの服は至るところに細かい切れ込みがあった。血が染み込んでいてもその下の肌に傷はなく、クローディアの治癒を受けたらしいことがうかがえる。

 あの男と対峙して、何事もなく終わったとは思えない。グレンが手にしていた剣は、何度振られた? 誰を斬っただろう?

 ──覚えていない。思い出せない。

「グレンのおかげで」

 不安を見抜いたのか、クローディアは手に力を込めた。

「助かった人が、たくさんいた。アルミュールも、きっと無事だし──」

 と、口にして言葉を切った。

 グレンが視線を上げれば、クローディアは口をつぐんだまま目を背けている。その先を追っても、ベッドに立てかけられた剣以外は見当たらない。

 違和感を抱いてグレンは首を傾げ、思い至った疑問を口にした。

「きっと、って……ここ、アルミュールじゃないのか?」

「えっと……あのね……」

「……?」

 言いよどむクローディアにグレンが眉根を寄せていると、扉からノック音。

 几帳面な二回のノックののち、一拍置いて落ち着いた声が聞こえてくる。

「クローディア、入っても?」

「あ、はい!」

 応えながら、クローディアは立ち上がって扉の方へ駆け寄っていった。グレンはベッドから足を降ろし、剣に目をやった。

 クローディアは、グレンを庇うために嘘をついたりはしない。それに、グレンの見る限り、クローディアが嘘をついているような様子はなかった。だからきっと、この剣は守るために振られたのだろう──と思う。

 問題は、クローディアが言いよどむこの現状だ。

 フリーデン軍は去った。しかし危機は去っていない、ということなのだろうか。

 今度こそ、我を失わずにクローディアを守らなければならない。と、グレンが右手を握りしめたところで、クローディアが扉を開いた。

 ケープも羽織らずに。

「──へ?」

 グレンが気の抜けた声を出したのに気付く様子もなく、クローディアは髪を見せたままぺこりと頭を下げた。

「おはようございます、ルシアン」

「ええ、おはようございます。よく眠れましたか?」

「おかげさまで」

 困惑するグレンをよそに、クローディアは聞き慣れない声と親しげに言葉を交わしている。

 数歩下がったクローディアに続き、部屋に入ってきたのは軍服の男──ルシアンだった。茶色基調の軍服はグレンに見覚えがなく、アルミュールの軍人でないことならうかがえる。

 それだけでもグレンが警戒するには充分で、握りしめた右拳が自然と開く。探るようにさまよった手は、立てかけられた剣の柄へ、触れるかどうかのところで止まった。

 見える限り、ルシアンの武装は腰に提げた剣一本。左手は紙袋で埋まっている。

 ──と、グレンが様子をうかがっている内に、気付いたルシアンと目が合った。

 眼鏡の奥に灰色の瞳を見とめた瞬間。

「……おや、目が覚めたのですね」

「────ッ!」

 背に走った悪寒に駆られるがまま、グレンは剣を手に床を蹴った。