第三章 信仰の道


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 川沿いのさわやかな風が通るようになった幌馬車は、閉め切っていたときよりも幾分か快適だった。石畳を蹴る蹄鉄に、車輪の回る音。その向こう側に、川のせせらぎも聞こえてくる。

 代わりに、景色は見渡しのいい草原から森林へ移っていた。クローディアにとっては草原よりなじみのある光景だが、植生はいくぶん違っているようにも思える。

 気候はさほど変わらなくとも、山が違えば立ち並ぶ木も変わる。下草の中にも、見慣れない形の葉がちらほら見受けられた。

 川のある方を向いて簡易椅子に座ったクローディアは、上体をひねって御者台との仕切り板に手をかける。視界の端で、ティムの背中がそわりと姿勢を正した。

「……なんか、緊張しますね」

 ぼやくように言ったティムの言葉を聞き、クローディアは片手で口元を抑える。

「ごめんなさい、じろじろ見てるみたいになってしまって……」

「お気になさらず。中尉は感覚的にものを言ってしまうだけですので、慣れれば静かになりますから」

 クローディアの謝罪にはルシアンが先に応えて、なにも言い返せないらしいティムの呻きが続いた。

 進行方向に背を向けて座るルシアンは、ちらりとも視線を動かさずに続ける。

「無意味に嘘をつくような人間でもないですし、本音だとは思いますよ」

「いらんこと言わないでください。……世の果ての方、すいません。早めに慣れます」

 途中から言葉を向けられ、クローディアはわずかに体に力を入れた。

 それに気付いたルシアンが、クローディアを見る。

「なにか?」

「あ、その……言おうか迷ったんですけど。できれば、私のことはクローディアと呼んでもらえませんか? 世の果ての方、には慣れなくて」

「えっと……それ、人の名前じゃないですか? 神は唯一のものだからとかで、名前がなかったんじゃ……?」

 ティムに問われ、クローディアは顎を引く。

 どこから話したものか、と考えていると、ルシアンが椅子に座り直し、クローディアへ向き直る。

「無礼を承知でうかがいます」

 言葉を選ぶような間が挟まる。

「あなたは創世を成した、いわゆる世の果ての方ではありませんね?」

 ルシアンの問いは、答えを確信した、確認のような言葉だった。

「……はい」

 クローディアは頷いて、続ける。

「この世界を創ったのは、私の父……と、聞いています」

 それを聞いて、ルシアンはため息のように息をはく。

 落胆の色はない。むしろ、

「安心しました。創世神が記憶を失ったとも考えましたが……あのお言葉が果たされたのですね」

「……んで、つまり、どういうことっすか?」

 言葉通り、安堵の表情を浮かべるルシアンに対し、一人困惑するティムが説明を求める。

 その疑問は予測していたのか、クローディアが二国の関係を訊いたときに比べ、ルシアンの返答は早い。

「神話の最後に書かれている言葉を覚えていますか、中尉」

「確か、邪神が目覚めたらどうたらこうたら……」

「『邪神が嵐の内より解き放たれしとき、我が子は人の身より生まれ、救世の役を負うだろう』」

「それっす」

 神話の一節をよどみなく暗唱したルシアンは、ティムの軽口を気にした風もなく続ける。

「直前の記述によれば、邪神封印の直後から創造神は眠りについたとされています。神の言葉がその通りの……比喩や言い換えを含まないものならば、クローディア様は救世の役目を背負った、創世神と人の間に生まれた子、ということになります」

 言い終えたルシアンから確認のように視線を向けられ、クローディアは頷いた。

「ありがとうございます。どう言えばいいのか、迷ってしまって……」

「無理もありません。今まで人目を避けていらしたのなら、神の言葉がどの程度人に伝わっているかもご存知なかったでしょう」

 言って、ルシアンは馬車の進行方向へ背を向けるように座り直し、腕を組んだ。