第二章 戦争の徒


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「ほんっと、すんません……」

 ティムと名乗った軍人がクローディアに謝ったのは、これで五回目だった。

 クローディアがフリーデンの軍勢と相対していたとき、最初に通りへ飛び込んできた黒髪の槍使い──のはずだが、そのときの大胆で不敵な雰囲気はどこにもない。

「門を通るまでの辛抱なんで……」

「そんな気にしないでください、大丈夫ですから」

 クローディアがなだめるのも、これで五回目だった。

 彼女が座っているのは、幌馬車の隅に置かれた浅い木箱の中だ。底には防寒用らしい毛皮が何枚か重ねて敷かれていて、多少の柔らかさが確保されている。

 隣に気を失ったままのグレンが寝かされ、足元には荷を覆うための分厚い布がかけられていた。

 グレンの足が向けられた先、馬車の後方側には、荷物がロープで固定されて目隠しの役目を果たしている。

「世の果ての方を荷物扱いとか……そんなんどう考えても不敬でしょう」

 ティムの言葉に、クローディアは曖昧に笑う。

 どうしたものか、とクローディアが迷っていると、馬車後部の垂れ布が開かれた。

「こちらの準備は整いました」

 最初に聞いたときから変わらない、ルシアンの落ち着いた口調だった。

「馬車の護衛となる軽騎兵一個小隊。リヤンへの偵察隊も、我々と共にアルミュールの門へ向かいます」

「無理を聞いてくれて、ありがとうございます」

「いえ。フリーデンの渡河地点は、こちらとしても把握しておきたかったので」

 そう言ったルシアンの背後から、何頭もの馬の足音が聞こえてくる。

 規律だって動く馬の──おそらくは騎馬の──群れは、馬車を取り囲むようにしてその動きを止める。ガタガタと幌馬車が揺れてクローディアが振り返ると、正面に並んだ二頭の馬が御者台の前に固定されているところだった。

「中尉も持ち場へ。後は私がやっておきましょう」

「うっす、了解です」

 言いざま、ティムは細い麻縄を放ると、そのまま低い仕切り板を乗り越えて御者台へと移ってしまった。荷台の前で巻きあげられていた垂れ布も下ろして、外はほとんど見えなくなる。

 先程までとは打って変わって手慣れた動きで、クローディアが思わず固まっていると、背後でため息と共に荷台へ乗る気配があった。左右均等に積まれた荷物の間を通って、ルシアンがクローディアの隣へ膝をつく。

「行儀の悪い部下で申し訳ありません」

「……あ! やっべいつものノリで!」

 垂れ布の向こう側からは呻き声すら聞こえてきて、クローディアは力を抜いて笑みを浮かべる。

「ええと……私にそこまで気を使わなくても……」

「神話なら子供のころから聞き続けてるんすよ……身に染みついてますって」

 手で顔を覆っているらしいティムの声は、少しくぐもっていた。

 細く息を吐きながら、ルシアンが眼鏡の位置を直す。

「直接のお言葉を無視するのもいかがなものかと思いますが──ともかく、そろそろ向かってください」

「うす」

 ごそごそと、御者台から姿勢を直すような音があった。それからややあって、ティムが声を張りあげた。

「槍騎兵第一、前進!」

 ごとり、と車輪が石畳のわずかな段差を乗り越える。

 予想していたよりもずっと揺れの大きい荷台の上で、クローディアは毛皮に手をついた。傍らで眠るグレンの方へ目をやるが、起きる様子はない。

 その足元にたたまれた布を、ルシアンの手が掴む。

「横になってください。すぐに門へ着きます」

 言われて、クローディアはフードを掴みながら木枠の中へ身を横たえた。「失礼します」とさらに声をかけてから、ルシアンが二人の上へ布を広げていく。

「上から縄を張りますが、中から押せば外れるようにいたします」

「は……はい、分かりました」

 じわじわと緊張感が高まってきて、応えたクローディアの喉がわずかに震えた。

 幌越しの日光がさらに布で遮られると、身を隠さなければならない実感がさらに強まってきた。体の上を通る縄はゆるく、体を動かす余裕はあるものの、いつ誰に見られているか分からない恐怖がクローディアを縛りつける。

 探るように、ゆっくりと手を動かした。横に眠るグレンの腕を掴み、力の抜けた手を握る。

 クローディアの精霊伝術で外傷の手当ては終えたものの、グレンが目覚める気配はない。

 暴走の反動、と言うべきか。負の感情にのまれたグレンは、精神の負担を肉体で肩代わりするかのように体力を消耗してしまうのだった。

 クローディアは車輪と蹄鉄の音を聞きながら息を整え、そっと目を閉じた。深く呼吸をすると古い木と革の匂いがして、かすかに鉄の匂いが混じっている。それが武具の匂いなのか、あるいは血の匂いなのか、クローディアには判別がつかない。

 しばらくして、外から声が聞こえた。やけに遠く感じるのは、間に音を遮るものがあるからだろうか。

 次いで馬車が止まって、車輪や荷物の振動音が途絶える。なにやら言い争うような声がして、クローディアは身を硬くした。耳をすませると、どうやら声を荒げているのは片方だけで、会話の相手の声はここまで届いていないようだ。

 木材が軋む音がして、靴音が続く。荷台がわずかに揺れて、ルシアンが降りたらしいことが分かる。

 外の声は、内容こそ聞こえないものの徐々に力を弱めていった。やがてほとんど聞こえなくなって、クローディアとグレンの呼吸音ばかりが耳につく。