第二章

 ペストが高所に現れること自体がレアケースではあるものの、今の世界ではどのようなことが起こってもおかしくはない。現在の森林限界が、たとえば半年後も通用するとは限らないからだ。

「──ペストのDNAサンプルを回収後、速やかに帰投してください」

「了解」

 事務的な受け答えを最後に、ヴィオレは首に巻いたマイクのスイッチを切った。

 同時に地下からの通信も切られたようで、イヤフォンから聞こえていた声や砂をこするようなノイズもぷつりと途絶える。

 ヴィオレはため息をついて、上着のポケットに手を入れた。取り出したのは、密閉可能な構造のビニール袋だ。中には持ち手の長い綿棒が入っていて、それを使ってペストの口内細胞を採取する。

 ペストのDNAデータは、そのままハイジアの開発に使われている。

 女神の名は冠しているものの、その実態は人体改造を受けた少女たちである。ペストのDNAを持ち、ペストと戦う兵器として扱われるその名は、信仰や憧憬よりも恐怖と嫌悪の対象と成り果てている。

 しかし、戦力の補強は浅間に住む人間にとって必要不可欠だ。多様なデータがあるだけ浅間の対ペスト戦力は多様化し、適応できる人間が生まれるだけ増加する。今回のネズミ型ペストのDNAが使われれば、新しいハイジアは炎を操る能力が得られるはずだった。

 ヴィオレは手順通りにペストの細胞を採取すると、綿棒をビニール袋に入れて密封し、手に持ったまま塔へ向かった。詳細は聞かされていないが、ペストの死体はいま浅間を留守にしている他のハイジアが処分するのだろう。