ガルドロ平原戦線:2

「こんなモンか」

 修道服の少女、御加瀬紫音(みかせ しおん)が呟くと同時に、彼女の背後で燃え盛っていた教会が崩れ落ちる。

 ガルドロ平原を見下ろす丘の上、祈りのための土地は、すでに見る影もない。

 立つ人影は紫音一人。

 元々荒れていた庭はあちこちが焦げていて、酷いところではまだ火の手があがっている。

 紫音は興味なさげに周囲を見渡すと、十字を切って一息。目の前に突き立てた木製の十字架を抜いて肩に担ぐ。

「さて、残りは」

 体格にしては重すぎるだろう十字架を苦にする様子もなく、紫音は崩れた教会をぐるりと周って反対側へ。

 主戦場たるガルドロ平原を見下ろす。

 なだらかな坂を下った先に、広大な平原がある。そこで、アリの群れ同士が食いあっているように戦っているのが〈マリス=ステラ教会〉と〈円卓の騎士〉に属するプレイヤーたちだ。

 シティギルド〈マリス=ステラ教会〉および〈円卓の騎士〉限定コード・リファレンス──「ガルドロ平原戦線」。

 両ギルドに所属するほとんどのプレイヤーが参加する、大規模な対プレイヤー戦だ。

 紫音の所属するシティギルド〈マリス=ステラ教会〉は、どうやら押されているらしかった。

〈円卓の騎士〉の統率のとれた動きに対して、〈マリス=ステラ教会〉のプレイヤーに統一感はない。

 それも当然のことで、〈マリス=ステラ教会〉がガルドロ平原戦線で勝利することができたのは二人の高ランクプレイヤーによるところが大きい。

 ランキング九百三十一位。『火刑執行人』とあだ名される紫音は、その片割れである。

「ん……まだ始めてないのか」

 紫音は丘の上の教会で時間を潰していた自分を棚に上げ、不満げにぼやいた。

 そして修道服の懐から携帯端末を取り出し、短縮ダイヤルにコール。数回の電子音の後に通話が繋がる。

『どうしました?』

 電話の相手は、落ち着いた口調の青年の声だ──と言うと聞こえがいいが、現在はプレイヤー同士が戦うイベント中。

 表現としては、「落ち着いた」より「気の抜けた」の方がふさわしいだろう。

 紫音は端末のマイクに入るよう、おおげさにため息をつく。

「いつまでのんびりしてるんだ? 今回、相手方も本気らしいぞ」

『おや。紫音も今回は乗り気じゃなかったじゃないですか』

「……さすがに、何度も何度も同じことを繰り返すのはつまんないんだよ」

 ふたたび、しかし今度は自然と、紫音はため息を吐き出す。

 スピーカーから青年の苦笑が漏れ聞こえてきた。

『始めてしまえば、すぐにやる気を出せるでしょうに』

 たしなめるような口調に舌打ちを返すと、紫音は眼下の戦場へ意識を向ける。

 このまま紫音が手を出さなければ、今回の「ガルドロ平原戦線」は〈円卓の騎士〉が勝利を収めるだろう。そうなったところでデメリットは特にないのだが、紫音と通話相手の青年には勝利によるメリットが必要だ。

 シティギルド〈マリス=ステラ教会〉のショップが充実すれば、それだけ外部での活動がしやすくなる。

 デュランダル・オンラインに閉じ込められている者としては、細々とした戦力増強が必要になるのだった。

「──とはいえ、あたしだって平和主義者なんだけどなぁ?」

『神を信じるだけではいけません。己を見つめ直し、正しい自分を自覚することも大切なことですよ、紫音』

 ただの冗談にすら、生真面目に返答する青年。

 へっ、と鼻で笑って返し、紫音は一方的に通話を切る。

 そのまま携帯端末を懐にしまい、ゆらりと体を揺らしながら十字架を地面に突き立てた。足の裏から感じる振動が、紫音の戦意を駆り立てていく。

 無意識に手癖で十字を切ると、紫音はふたたび『火刑執行人』になった。

「〈わたしは重ねて乞い願う。大いなる主よ、われらが敵に火と硫黄の裁きを〉!」

 詠唱により、紫音の頭上に火球が浮かぶ。

 数瞬の間ののちに、火球は平原に放たれた。整然としていた〈円卓の騎士〉の戦線がかき乱されていく。

 修道服ごしに感じる熱波が、戦っている実感を紫音に与えていた。表情一つ変えず、しかしじわじわと高揚していく精神を感じながら、紫音は火刑を遂行する。

 と、見下ろす戦場の反対側で、かき乱された戦線を駆ける白い影がちらついた。

 白い影は、アリの大群が食いあうような戦いの中でひときわ目立つ。無駄のない動きで相手を捉え、貫き、踏み台にして次の標的へ向かう。

 それは、捕食者というより殺戮者だった。

 獣と呼ぶより、機械の方がふさわしい。

 殺しのために最適化された動きで、決して狭くはないガルドロ平原を駆け巡る。正確に、精密に、〈円卓の騎士〉の構成員だけを狙って。

 白い影は、司祭服をまとっていた。

 一本の槍を携えた、年若い司祭の姿をしていた。

 紫音の肌に汗が浮く。

 味方であることを理解していても、「彼」の動きは恐怖の対象になる。

「……異教徒殺しなんて、あたしらが産まれるずっと前のことだっつうのに」

 うっすらと苦笑を浮かべながら、紫音はもう一度十字を切る。

 身内である紫音であっても、ついさっき話していた電話相手と、戦場を駆ける司祭服は重ねにくい。

「あたしがやる気出すのを待つ必要なんてなかったんじゃねぇのか、クソ兄貴」

 青年司祭の名は御加瀬佳南(みかせ かなん)。

 彼が通った戦場には、ただ血の海だけが残されている。