Hydrangea

「マスター、一対多数の場合の正面突破はあまりにも危険すぎるとリリウムは危惧します」


 白衣の背中を追いながら、白髪の幼女型アンドロイド・リリウムは滑らかに言った。

 長い三つ編みとスカートを揺らし、速足で歩くリリウムだが、前を歩く青年との距離は縮まらない。

 アンドロイドであるはずの彼女は現在、不安と戸惑いに思考回路を支配されていた。

 少なくともリリウムの知る青年は、おおよそこのような行動を取る人間ではない。

 リリウムの言葉に応えない、などということもなかったし、リリウムが後を追っても速度を緩めてくれなかったり、立ち止まってくれなかったりすることもなかった。

 白色蛍光灯が照らす廊下を進みながら、リリウムはもう一度青年の背に声をかける。

「それにマスターは実戦なんて一度も──」

「リリウム」

 ──不意に。

 リリウムが追っていた青年が、彼女に応えて足を止めて振り返った。

「はうっ」

 完全に不意を突かれたリリウムは、止まりきれずに青年の脚に衝突。

 反動でふらつく体を青年に支えられる。

「す、すみませんマスター」

「リリウム、心配してくれるのは嬉しいけれど、今は正直策を練ってる場合じゃないし何より考える気が起きない。ということで正面突破は避けられない」

 青年──柳葉 輝はそれだけ言うと、またリリウムに背を向けて歩き始めた。

 普段とあまりに違う態度に、数瞬呆けるリリウムだったが、輝が廊下の角を曲がるのを見て慌てて駆ける。

 十字路でブレーキをかけたリリウムは、そのまま立ち止まって動けなくなった。

 視線の先で、輝がこちらに掌を向けている。

 輝は廊下の途中にある扉の前に立っていた。リリウムの見慣れた、白衣にふちなし眼鏡、黒髪というインテリ風の姿に、その雰囲気をぶち壊すヒヨコのスリッパ。

 姿かたちこそはいつも通りの輝だったが、リリウムの不安は収まらない。

 倦怠感ばかりを放っていた黒瞳が、怒りの色を滲ませている。

「────」

 息をのむリリウムを余所に、輝は無言で扉横のパネルにアクセスを試みていた。

 研究所──デュランダル・オンライン内のプライバシー空間を拡張して改造した、シリーズ・ガイア製造用の研究所は、全てが輝の支配下にあるはずなのだが……

 扉は輝の操作に応答しない。

「……あいつら、セキュリティシステムまで私物化しやがったな」

 呟くと、輝はそれ以上パネルに触れることなく一歩さがって扉から距離をとった。

 廊下天井から扉周辺を見下ろす監視カメラに目を向けて、

「闘争開始だ、クソッタレが」

 コマンドを送信。

 コンピュータのハードに固定された端末が応える──


   *


   コマンドが入力されました_
   闘争モードに移行中_
   ***********


   *


   並列処理_
   不正に変更されたセキュリティを解除します_


   *


 電子音声はやはり、天井に埋め込まれたスピーカーから。

 ハード接続された携帯端末は通常のスペックをたやすく越える。

 それぞれの進行度を告げる音声は、重なり合って研究所の廊下に響いた。

 それを確認して、輝は白衣のポケットからピルケースを取り出す。

 視力増強の効果が付与されたカフェイン剤を数粒飲みこみ、そこでようやくリリウムへ視線を向けた。

「悪いな、リリウム。お前に言われるまで気づかなくて」

「……!」

 コマンド入力時とは裏腹に、声音は柔らか。

 けれども、リリウムはとっさに言葉を返すことができなかった。

 これが、リリウムに対する青年の「いつも通りの態度」であるはずなのに。

 スイッチのオンとオフを切り替えるように簡単に、素早く感情を切り替える輝に対し、アンドロイドであるリリウムがついて行けない。

「アンドロイドの製造方法に興味があるだのなんだの、まぁそんな感じで無理矢理くっついて来たような奴らだったが、そいつらに対して僕は注意を払っていなかったわけだからな。身勝手をされるのは仕方ないかもしれない。しかしまさか──シリーズ・ガイアの番外個体まで造るとは」

 発端は、リリウムが研究所内の異常を報告したことだった。

 所内に点在する監視カメラの映像に、編集された痕跡があった。機材の位置が一部変わっていた。加えて──リリウムを含めた三機のアンドロイドが集めた『不滅の欠片』が一つ、保管室から消えてなくなっていた。

 輝は基本的に一つの部屋から出てこない。

 それゆえ、監視映像の改竄も、機材の移動も、『不滅の欠片』を持ち出すのも──自身の起動時に立ち会った科学者集団であることは、リリウムでも容易に想像できた。

 彼らが、『不滅の欠片』を使ってアンドロイドを造ろうとしていることも──否、造りだし、その上で一室に閉じ込めて封印していることも。

 無駄であることは理解しつつ、リリウムはもう一度、輝を止めようと口を開く。

「……消費されたパーツ、及び使用された機材のログを見る限り、番外のシリーズ・ガイアは間違いなく──戦闘用です。やはり、正面突破は」

「そうだな。危ないからリリウムはそこにいてくれ。それと、もう遅い」

 言うと、輝の視線はリリウムから扉へと戻っていった。

 次いで、機械音声が放たれる。


   *


   スキル『邪眼』のロードが完了_
   バトルアバター・セットアップ_
   闘争モードに移行します_


   *


   Durandal On-line!!
   Waiting**********

   ────O.K Standby!!


   *


   セキュリティ解除完了_
   障壁突破します_


   *


 重なり、連なり。

 電子音声は同時多発的に処理の終了を告げた。

 それと共に、スキル『邪眼』発動──眼鏡の奥で両眼が青く染まり──武器召喚完了──輝の右手に銀の大型リボルバーが──障壁突破──微塵も動かなかった扉が滑らかに横へスライド。

 道が開かれる。

「さて──問題は」

 ぱたり、と輝はためらうことなく部屋へ踏み込んだ。

 バトルアバター、とは言うものの、彼の衣服に大きな変更点はない。

 視力増強に合わせ、ふちなし眼鏡のレンズがただのガラス板になった程度だろうか。

 それすら、裸眼でのみ効果を発動するスキル『邪眼』の制御のために残しているだけだ。

 邪魔になるであろう白衣も、動きにくいはずのスリッパにも、変化はない。

「手前ぇらをどうするか、だな」

 部屋の中にはいくつもの計器類が並んでいた。

 その隙間を埋めるように立つ、白衣の男が五人。いずれもすでに武器召喚を済ませていて、応戦の体勢をとっている。

 しかし、その構えはどこかぎこちない。正規プレイヤーでも戦闘経験の少ないヤツはいるのか、と適当に結論付けて、輝は奥へ目を向ける。

 部屋の最奥、強化ガラスを隔てた向こう側では、一人の少女が膝を抱えていた。

 数十のセンサーを向けられ、計器類にコンディションの全てを暴かれている少女は、鼻の頭を赤く染め、ブルーグレーの瞳に涙をあふれさせていた。

 座った状態とはいえ、床につくほど長い髪は灰色。

 手入れなどはされていないらしく、跳ねて乱れた髪の束が、矮躯の向こうで揺れている。

「愛がないな。自分(テメェ)で造ったものに対してこれかぁ?」

 傍目、数的不利にある輝が放つ言葉に、男たちは一様にあとずさる。

 対して遠慮なくもう一歩を踏み込む輝に焦ったのか、男の一人が悲鳴染みた声をあげた。

「ビ……ビビるな! こいつはゲーム内序列圏外の最底辺プレイヤーだぞ!」

 自分に言い聞かせるような調子の言葉に、説得力はない。

 事実、男が威嚇のように切っ先を前に向けている剣はかすかに震えていて、持ち主の恐怖心を如実に表している。

 ──そのうえ。

 男と輝の間にある距離は、剣で戦うには遠すぎて、銃で撃つには最適すぎるものだった。

 最底辺プレイヤーはお互い様だ、とは言わず、

「吠えるのは終わったか。俺はそいつにシリアル・ナンバーを聞きたいんだが」

 視線で強化ガラスの向こう側を示した。

 唐突に話を振られた少女は肩を震わせ、半ば反射的に答える。

「し……Series GAIA - A001……Hydrangea」

 少女アンドロイド──ハイドランジアの声は少しだけ震えていた。

 リリウムによると、ハイドランジアは戦闘用アンドロイドのはずなのだが……それらしい挙動は一切見られない。

 戦闘用にプログラムされたはずのAIが、役割遂行のできない環境下におかれて変質したのだろうか。あるいは、最初から、扱いやすくするためにAIを調整していたのか。

 どちらにしろ、輝がキレるには十分すぎる理由ができた。

 かちり、と銃の撃鉄を下ろす。

 『ブリューナク』。

 ケルト神話の槍の名を冠するそれは、一見オートマチックに見間違えてしまいそうなほどの大型リボルバーだった。

 輝が発砲準備を終えた途端、男たちは慌ただしく動き出す。

 剣を、槍を、あるいは銃を手に。

 意味をなさない怒号を放ちながら。

「……クソッタレが」

 吐き捨てて、輝はスキルのストッパーとなっていた眼鏡を投げ捨てる。

 スキル『邪眼』が真価を発揮。露わになった青眼から燐光がほとばしった。

 直後、輝と目を合わせてしまった男たちは、次々とその動きを停止させていく。

 伝承と伝説に描かれる石化の邪眼とほぼ同じ力を振るい、輝はゆったりと銃を上げ──嘲笑う。

 銃口は、まっすぐに近くの男へ──その額へ。


「手前ぇら──俺にヤられる覚悟はできてんだろうなぁ?」


 刹那、室内に銃声が轟いた。