第一章 日常茶飯/街の風景

 牧原は手をもつれさせながら、ポケットに忍ばせていたバタフライナイフを取り出した。

 それは勿論、あの理不尽大王を傷つけてやろうなどという馬鹿げた行動ではなく、己の足の自由を取り戻す為のものだった。

 ザクリ、と肉に刃物が刺さる。

「――っ!!」

 大腿部に鈍く残る痛覚。これで恐怖を振り払った牧原はようやく自由になった足で方向転換――ダズに背を向け――し、逃走の一歩を踏み出した。

 のだが、

「逃げるのか逃げるんだ逃げるんですね分かりMATH!! だがしかしでも、忘れ物があるZE牧原くぅん。お前がその金属を持ち去ろうっつうんなら、こっちの岩石(小銭)も持ってってくんねえかなあああああHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!!!」


 もう、遅かった。


 首だけ動かして背後ろを見てみれば、大きく振りかぶっているダズの姿が目に映る。

 まるで古代の戦車の様に投擲の砲身である腕をしならせ、爆発的な力を溜めているダズの姿が。

 牧原は思う。

 こんな不幸は現実世界で味わう事なんて今まで無かったし、恐らくこれからも無いはずである。

 ただ、電脳世界(こちら)は何かとおかしい。

 つまるところ完全無欠に井の中の蛙だったという事なのだが、このアフター*ダークに出逢わなければ、理不尽大王にさえ出逢わなければ、強者のままだった自分を保てたのだろうかと。

 次の瞬間、ダズの拳から岩石が放たれた。

 手汗による滑落か単なる恐怖からか、牧原の手からナイフと貨幣が落下する。