隻眼の好敵手

 咆哮が大地を揺るがした。

 必殺の爪が岩を裂き、牙に貫かれた大木は無残に破片を散らす。

 暴虐の限りを尽くしているのは、巨大な竜──翼状に進化した腕を持ち、口から火炎を吐き出すワイバーンだ。無秩序に暴れているように見えて、その実、森すら成長しすぎた下草のようにあしらう巨体は、ちっぽけな標的を追い詰めようとしていた。

 薙ぎ払われた木の幹や枝葉と共に開けた場所へ投げ出された、一人の男である。

「──っち!」

 頭をかばった腕で地面を叩き、地に足をつける動きになんら支障は見えない。かなりの軽装でありながらワイバーンから逃げようとしないのは、元々そういった存在を相手に立ち回るのが目的だったからだろう。

 一撃で岩を裂くような相手に対し、鋼鉄の鎧などさして意味はない。ならば、身のこなしでどうにかするべきなのだから、動きを阻害するものは身に着けない──

 論理的ではあるものの、異常なまでのハイリスク。

 そのリスクを、男は一度負ったことがあるらしい。右目を覆う、黒い革製の眼帯。その上下からはみ出た傷跡を見るに、怪我を負った当時、男がもう一歩踏み込んでいれば致命傷になっていたはずだ。

「たく、何が『巨体を持つドラゴンは狩りと縄張り争い以外で本気を出さないから、人間が襲われることは少ない』、だ。そういうことを言うヤツと行動してるときに限って、こうなる」

 愚痴をこぼしながら、眼帯の男は背負った槍を手にして半身の姿勢になる。

 ワイバーンの破壊行動によって、周囲はそれ以前よりも見晴らしがよくなっていた。

 立ちふさがる巨躯の隙間から、ついさっきまで男が共に行動していた旅団が見える。突然現れた竜に対し、混乱はあるようだが逃げるだけの判断力は残されているらしい。二頭立ての馬車が複数、男とワイバーンから離れるようにして走り出していた。

「……なるほど、合格」

 ため息まじりに言って、男はワイバーンへ視線を戻した。

 走り出した旅団には、見向きもしていない。ヒト一人より、ウマ二頭とオマケが少し、という獲物をまとめて狩れるチャンスだというのに、そんなものには興味がないと完全に背を向けている。

 男を睨む、縦に割れた虹彩は一つ。右目は潰れていて、ウロコにできた隙間のような傷跡が視認できた。

 知れず、眼帯の男は笑みをこぼしていた。

「なんだ、てめぇか。言ってくれりゃあよかったのに」

 そうすれば、よそ見なんざしなかった。言外に告げる男へ、ワイバーンは歯列の隙間から細く炎を吐き出して応える。

 両者の間が、緊張で満たされる。

 因縁の相手というには、わずかばかりの違和感があった。右目を潰しあった仲、というぐらいの感覚で、男はそういう表現を好んで使っている。たとえ、同業者がこの竜に何人も殺されているとしても。

 ドラゴンキラー。

 腕一つで富と名声を手に入れる、対竜戦闘のスペシャリスト。

 片目を失ってなおその世界の最前線に立ち続ける男は、最高の好敵手を前にしてわずかに口の端をゆがめた。

「そろそろ、ケリつける頃合いか?」

 惜しむような口調。とはいえ、冗談や嘘の色は微塵も含まれていない。

 右目を潰しあってから、すでに三年が経っている。その間、幾度か刃と爪を合わせたことはあったが、決着をつけることなく戦いが終わってしまっていた。片目を失った竜として、一時期はカモという扱いを受けていたワイバーンだが、この三年で命を散らしたドラゴンキラーは一〇を越える。

 男にとっても、ワイバーンにとっても、面白くない介入者だった。

 互いに、他のヒトや竜に負けるつもりはない。しかし、最強の名をほしいままにしている両者であっても、隻眼のハンデを背負いながら耐え続けることはできない。

 潮時だった。

 一方が他人に殺されるより早く、決着をつける必要があった。

 どちらともなく、革製ブーツに包まれた足と、鋭い爪を携えた足が大地を蹴る。男は生き残った木々の幹を蹴り、竜はその足場を崩すように腕を払う。

 無数の枝葉が散る中で、左目同士が視線を交わした。

 なれあいも、ためらいもない。純粋な殺意が、ふたりの間を繋ぎとめていた。